記念文集(定演プログラム)

第7回定期演奏会プログラムから

山葉ホール(1958年7月28日)


曲目解説から女声合唱曲

 

 若杉 弘(3期・東京芸術大学指揮科在学)


      


第7回定演プログラム
表紙デザイン:井上公三


プログラムより
メンバーリストと曲目
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第1ステージ: 「子供のうた」
作曲者中田喜直氏は、ここで紹介するまでもなく、今日の日本で最も多くの人々から愛されている作曲家です。氏は、子供達に、美しく、夢のある、そして音楽的な歌を与えたいと、新しい子供の歌をめざして300近くの童謡を作っておられ、今晩の曲はその中の「かわいいかくれんぼ」という美しい子供の為の歌曲集を、ご自身で女声合唱用に編曲されたものです。こうした良心的な仕事は、大いに高く評価されるべきでしょう。

氏の作風は、やはりフランス音楽の系列に属するもので、特に女声合唱曲に、その良さが発揮されています。氏は、元来ピアニストであられたため、ピアノの響きを実によく知っておられ、今晩の7曲も、美しい伴奏に支えられた優雅な旋律をもっており、その流れは、一度聞いたら忘れられない魅力を感じさせられるものでしょう。

7曲の童謡は、すべて夏の風物にちなんだもので、大体、夜あけから夜までの順に並べられています。中田さんのさわやかな、美しいハーモニーにひたって、夏の暑さを、ひとときでも忘れて戴けたら、私達としても、この上のない幸です。

第2ステージ: 「三つの村の情景」
作曲者ベラ・バルトーク(1881〜1945)は、ハンガリーに生れ、ストラビンスキー等と並んで現代最高の作曲家ですが、若い頃から自国ハンガリー土着の民謡を研究、蒐集し、それを素材として、彼の音楽を発展させた人です。

バルトークは1924年にスロヴァキアの民謡をもとにして「村の情景」と云う全5曲からなる独唱曲集を書きました(特に女声の為にと指定)が、この「三つの村の情景」は2年後の1926年に、その内の第1曲「乾草作り」と第2曲「花嫁のそばで」を除いた第3、4、5曲を女声4部合唱に書きなおしたものです。独唱曲の方も現在出版されていますが、この合唱曲の方が伴奏も複雑さを増し、歌もずっと色彩的になって効果を高めています。バルトークの手法は民謡を生の形で使うのではないのですが、この曲の場合、非常に現代的なピアノのパートとの対比の上に素朴な民話が美しく浮びあがるという、絶妙な効果をあげています。


第7回定期演奏会 山葉ホール(1958年7月28日)
女声合唱
バルトーク「三つの村の情景」 指揮:若杉 弘

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曲は西洋音楽の伝統に基づいて、急・緩・急の順に配列され、あたかもソナタか交響曲のようなガッチリした構成をもっています。

《婚礼》 極めて急速に
1小節毎に拍子の変るビアノの前奏は最強音で特徴のあるリズムをたたき続け、それにつづいて合唱が美しい民謡を歌います。間奏をはさんでそれがくりかえされ、変拍子のかけ声が続いて第1曲を終ります。

《子守歌》 歩く速さで
前の曲と対称的に、リリツクな美しい子守歌、やはり拍子は常に変って安定しません。

《若者達の踊り》 適宜な速さで
完全な2拍子の舞曲、長いピアノの前奏・間奏をはさんで楽しい民謡が繰り返され、あと打ちの激しい掛け声がクライマックスを形づくります

    

混声合唱
シューマン「シューマン合唱曲集」 指揮:中濱信生(5期)


男声合唱
清水 脩「月光とピエロ」 指揮:小笹和彦(4期)
月光のイメージで舞台が暗くなっています


編者注: 若杉弘さんは大学1年までは塾生として楽友会に所属し、その後東京芸術大学声楽科に転校されました。高校楽友会時代から畑中良輔氏に声楽を学ばれていたこともあり、塾生時代はバリトン・ソリスト、あるいはピアノ伴奏者としても活躍されましたが、学生指揮者になったことはありませんでした。しかし、芸大で指揮科に転向されてからは俄然合唱指揮にも意欲を燃やし、第6回定期演奏会で楽友会の女声合唱指揮者としてデビューされました。その時はむしろ個性的な存在感を抑えた演奏だったと思いますが、第7回でいかにも若杉さんらしい真価を発揮されました。

特にバルトークの難曲に挑戦すると聞いた時は唖然としたものです。が、女声陣の反応は上々で、皆さんその巧みな棒さばきについて、実に軽々とその難曲を歌いこなしました。さすが天才的な才能に加え、声楽を学び、合唱を体験し、その上指揮法を専門に学ぶ人の実力と指導力は違うものだなー、と感嘆したものです。

「子供のうた」の選曲も見事でした。男声陣までこの曲になじみ、蝶を見ては「もんしろ蝶の郵便屋さん」を歌い、カナカナ蝉が鳴く夕飯時には「ごはんだよー」と口ずさんだものです。それほどに親しみやすい、ある意味では誰にでも歌える童謡と、誰もが尻込みする現代曲を、一晩のコンサートで対比し際立たせたのですから大したものです。

この年はちょうど塾創立100周年にあたり、岡田先生は全塾あげての記念「第9」演奏会の準備でお忙しく「今年は学生だけで、夏に定演をやったらどうだい」ということでメイン・ステージの大曲がなくなりました。それは女声、男声、混声の小曲だけで各2ステージを構成することを意味し、今にして思えば暴挙に等しい難事でした。何しろ練習期間が約3カ月しかありません。それにもかかわらず、この第7回定期演奏会がバラエティーに富んだ良い演奏だったと評価されたのは、特に女声合唱が光っていたお陰でしょう。ここに、珍しく若杉さん本人が書かれた解説文を掲げ、往時を偲ぶ次第です。(オザサ・09/08/10)


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