楽曲解説
皆川
達夫(顧問)
いうまでもなく、フォーレは近代フランス音楽の系譜の中で、きわめて重要な地位をしめる作曲家である。フランクの流れをくみ、サン・サーンスを師と仰いで、古典様式のうちに近代的な技法表現をゆたかにもりこみ、独自の抒情的な音楽を数多く創作して、
ドビュッシー、 ラヴェルらの印象派音楽の途を開いていった。
1845年カトリックの伝統強い南仏の一都市に生まれ、幼時から宗教学校に教育を受けたためでもあろうか、彼の信仰心はかなり強かったようであり、事実その生涯のかなり長い時期が教会オルガニスト、或は楽長としての職務にささげられている。恐らくこの間に古い教会音楽の傑作にも数多くふれ得たであろうし、その独特な旋律法、和声法、構成法など充分に体得したことであろう。たとえば近代的なDur、mollの調感覚に立ちながらも、その調性を曖昧にし教会調的な柔い抒情性をかもし出している旋律法や和声法など、フランス音楽の伝統といいながらも、まさしくこうした中世紀の教会音楽の影響に外ならないのであり、特にその宗教的作品にみられる楽曲構成法は―たとえば2声間の応答体、独唱と合唱との交唱体、独得のカノン技法など―中世以来のカトリック教会音楽の伝統をそのまま踏襲しているものなのである。
そうした意味で、この「レクイエム」は、フォーレのあらゆる作風を最も明確に、最も充実した形で示している作品である。
後にのべるように、カトリック教会は古くから色々の規則や、独特の表現などがあつて、なかなかやかましいものであるが、フォーレはこうした制約を何らの不自然さも感じさせずに、自己の中に摂取し、その上に近代的な抒情味の濃い彼自身の音楽を創造している。
その旋律はグレゴリオ聖歌の示す宗教的な高みに到っていながら、
しかも彼のいくつかの名歌曲を想わせるように美しく表情的であり、その和声や転調の工合などもきわめて斬新で大胆なものであるが、
しかも何ら典礼性と矛盾する所はない。内容的にもその高雅さ、明朗さ、平安さはカトリック教会の死に対する観念をよく表明しているものといえるのである。
元来Requiemというのはラテン語で「安息」という意味で、カトリック教会における死者のための典礼、つまり死者の葬儀のためにとりおこなわれるミサを示す言葉である。
もとより、 これは葬儀のための典礼であるから、通常のミサに比較すれば若干の部分に相違がみられる。
つまり通常のミサの不変部がキリエ、 グロリア、
クレド、サンクトゥス・ベネデイクトゥス、 アニュスデイの5章から成立するに対して、 レクイエムはまず“Requiem aeternam(永遠の安息)”で始まる入祭唱がつき、
グロリアが除かれ、代って“Dies irae(怒りの日)”が入る。更にクレドを除き、オッフェルトリウムが入リ、サンクトゥス・ベネデイクトウス、アニュスデイはミサと同様で、その後にリベラメ(死からの解放を)が歌われ、最後に柩が墓地に運ばれる途上に“In
paradisum(天国にて)が歌われる。
作曲の直接の動機は彼の父の死にあるといわれ、1887年完成され、翌88年1月、当時彼が楽長職にあったパリの聖マドレエヌ寺院で初演された。尚フォーレは1924年11月4日79才の高令をもって世を去った。(この後に簡単な各曲の解説と歌詞対訳があるが割愛)
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編者注:
上記解説とは直接関係ありませんが、この曲でオルガンを担当された佐藤ミサ子さんについてご紹介しておきます。別掲の紹介記事にあるように、佐藤さんは女子高から芸大のオルガン科に進まれた関係で楽友会とは縁が深く、この第13回定期演奏会の他、第18回(Handel:
Dettingen Te Deum)、第19回(Faure:Requiem)、第34回(左同)の定期演奏会にもご出演いただいています。
高校時代の同期で親交のあった村瀬和子(3期)さんによると「高校時代から熱心なキリスト者で、カトリック田園調布教会のオルガニストを務めていらっしゃった。その関係で、99年11月の同教会の聖堂コンサートでご一緒に演奏させていただいたこともある」そうです。(オザサ)

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