Editor's note 2008/11
秋の豊後路(大分)を旅してきました。当地は、耶馬渓などで知られる風光明美なところですが、今年は、特に旅心を誘う二つの要因がありました。一つは、ペトロ・カスイ・岐部神父他187名の列福で、もう一つはもちろん、福澤家旧居訪問です。

☆ 列福というのは、ローマ・カトリック教会が、特別に遺徳のあった信者を福者(聖人の位の一つ)と認め、世界に公知してその偉業をたたえることです。日本でその列福式(11月24日/長崎)が行われるのは史上初のことですが、その筆頭に挙げられたペトロ・カスイ・岐部神父(天正15年/1587〜寛永16年/1639)は国東の出身です。

その波乱万丈の生涯は遠藤周作の「銃と十字架(中央公論社/79年)」や松永伍一の「ペドロ岐部(中公新書/84年)」によく記されていますが、あの戦国時代の迫害に屈せず、単身イスラエルからローマに赴いてさらに信仰を深め、ひそかに帰国して苛酷な弾圧下で教えを広め、ついに仙台で捕らえられ、酸鼻を極めた江戸での拷問にも耐え、棄教を拒み、立派に殉教した真実一路の精神は、戦国武将の雄姿にも増して心をうちます。

 
国東半島の北端にある記念公園には、船越保武氏の制作になる凛々しい立像が、その面影を今に伝えています。

☆ そこを北上すると中津にいたります。奥平藩主の城のすぐ傍に、福澤諭吉が19歳まで暮らした旧居(国指定文化財)がありました。恥ずかしながら筆者は、卒業以来50年にして初めての訪問ですが、「福翁自伝」で読み親しんでいた面白い情景が次々によみがえり、なぜか親戚の家に来たような親しみを覚えました。そこで、別棟の近代的な記念館で「学問のすすめ」や数々の遺品を見ることもできたのですが、むしろご母堂の手助けをして<チエという女乞食のシラミを潰した>庭石とか、色々と悪さをしたお稲荷様の祠あたりをうろついて楽しい幻想の時を過ごしました。

国東の岐部記念公園と対照的なのは、観光名所化していることで、観光バスも来ていましたが客は少なく、閑散としていました。事務所の人に聞くと「今年は慶應の150周年ということでもっと来館者があると期待していましたが、あまり大したことはありません」との事。

庭の一隅に植樹された記念の幼木と、門にはためく記念の幟が僅かにそれらしさを醸すばかりでした。門前にある「福沢茶屋」に座す先生の像も、心なしか苦笑しておられるようでした。でもその茶屋で食した大分名物「だ(ん)ご汁」は真においしく、<やはりここまで来てよかったなー>という満足感を味わいました。ついでにOSFの仲間にお土産を買ったところ、その包装紙には麗々しく、次のように記されていました。「大分銘菓『一万円札・お札おせんべい』・福澤諭吉−天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。中津の人々は、なかなかに愉快です。(オザサ11/11)
編集長は豊後の旅を楽しんでこられました。この地にもカッパがあちらこちらに居たようです。カッパ伝説で有名になったのは、佐賀県の伊万里にある酒造りの旧家の天井裏から発見された「河伯」のミイラです。

このごろ、編集長はカッパを見つけると、どうやら親しい後輩が居たとばかり写真を撮ってくる習慣がついてしまいました。そして「なんでお前はカッパになったのだ?」

私がカッパの名を頂戴したのは編集長が大学を卒業した59年だったと思います。ですから、事の顛末をご存じなかったのです。皆さんには内緒にしておきますが、編集長には教えました。あまりばかばかしい話なので、ここで披露するのをためらいます。もちろん、楽友の1人が命名者です。やっぱり、内緒です。

さて、大分から福澤邸とは逆に南に少し行くと津久見という小さな市があります。この津久見出身の音楽家で山口豊二という方がいらっしゃいます。私が普段から「お兄ちゃん」と呼んでいる方です。

山口さんは広島大学の指揮科の卒業で、ヤマハがエレクトーンを開発したときから、デモンストレーターを養成する学校の校長さんとして長い間務められました。北海道から九州まで全国のヤマハで山口先生のお弟子さんたちが、エレクトーンを演奏しています。

津久見市長の岩崎さんは、町興しのイベントに「創作ミュージカル」をと山口さんに相談を持ちかけ、これが実現することになりました。95年のことです。芸大の菊池雅春氏が作曲、山上路夫氏が主題歌作詞です。山口さんの推薦で私がミュージカル俳優やプロ歌手に混じって出演することになりました。こんな面白い経験は二度と出来ません。

この創作ミュージカルは「ムジカ」というタイトルですが、当地の大名だった大友宗麟がキリスト教に改宗し、争いのない理想郷「ムジカ」の建設をしようという、遠藤周作「王の挽歌」を題材にしたものでした。私はザビエルの役をやったのです。この写真を見て笑わないでください。やっぱり、わらった。

感動的なお芝居でした。地元の子供たちの合唱団も出演しました。4年前に亡くなった下川辰平さんは津久見の出身で、ナレーターとして出演されました。(わかやま11/11)


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