幸い雨は降らなかったが、1階の集合ポストにさしかかった時急に激しい揺れがあり、私は思わずその場にしゃがみこんでしまった。かつて経験したこともない凄い揺れであった。周囲に倒れそうなものはなかったが壁にはめこまれたたくさんのポストがカタカタあるいはガチャガチャ・・・と嫌な音を立てており、やがて建物全体がギィーといいながらきしんだ。とたんに先月のNZ大地震で倒壊した語学学校ビルの写真が瞼に浮かび<ここにいたら大変だ、この11階建てマンションも崩壊するかもしれない!>と思った。
そこで私は恐るおそるその場を離れ、少し離れた児童公園に廻った。そこでは数人の母親たちが恐怖にひきつった顔でジャングル・ジムや滑り台に縋りつきながら、泣き叫ぶ幼児たちを必死にかばっていた。目を転じると完成まぢかのスカイツリーが目に入った。ここ深川から約1里(約4km)ほどの距離にあるが、634メートルの塔が微動だにしていないように見え、少しホッとした。
8階の居宅に戻ろうと思ったが当然のことながらエレベーターは停止したまま動かない。ゆっくり階段を昇っていくと、途中で普段は見かけないさまざまな住人と出会った。みんな外に飛び出し、青い顔して互いの状況を語り合っていた。幸いご近所に大きな被災は出なかったようだ。
だがその頃、東北・関東地方の太平洋沿岸は未曽有の大災害に襲われていた。そしてその惨禍は時々刻々広がり、その後3週間以上過ぎた今日でさえ、その全容はつかめていない。中でも、特に東京電力・福島原子力発電所における事故は何ともおぞましい。もし第二のチェルノブイリ事故に発展したらどうなるのか?!
既に3名の作業員が放射能を被曝し、「死の灰」に類する放射性物質が周辺地域の人々はもとより、遠く海外にまで不安の種をまき散らしている。実害の程は、悲観論から楽観論までさまざまな情報や論説が飛び交っており、何を信用していいのか分からない。自主的に判断するしかないが、東電や行政当局、そして政府の見解や専門家のコメント、さらにはそれを伝えるマスコミ報道は当てにならない。皆それぞれの立場や利害得失を考え、情報操作するであろうことがミエミエだからだ。むしろ当局が「予断を許さない」といえば「危険」と読み替え、「安全」といったら「本当か?」と疑ってかかった方がいいと思っている。
そう思うのは私だけではない。東電社長の頼りなげな、というよりも、おどおどした記者会見や、首相の「冷静に」という呼びかけを見たり聞いたりした人々は、すぐさまスーパーやコンビニへ買いだめに走った。そしてスーパーの生活必需品の棚はアッという間に空になった。次いで飲み水や雨が幼児たちに害を及ぼすかもしれないとの報道で、首都圏の親たちまでが子供の避難先探しや真水の確保に大慌てした。現実に当編集部の若山家でも拙宅でも、孫たちは関西方面に疎開した。「疎開」なんて言葉は二度と使いたくなかった。れっきとした軍事用語である。だが事態は、それほどまでに緊迫していた。「冷静に」考えれば、そうせざるを得ない根拠があったのである。
月刊誌「世界」(岩波書店)が今年の1月号で「原子力復興という危険な夢」と題する特集を組んでいた。これは昨年10月末にベトナムを訪問し、2基の原発受注に成功した菅首相の笑顔に対する痛烈な批判であり、原発の危険性に対する大きな警鐘であった。
確かに世界は「地球温暖化対策」という旗印の下に、原発の新設ないし再開を急ぐ傾向にあり、これを「原子力復興(原発ルネサンス)」とはやして原発関連企業群や先発推進国が舞いあがっていた。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」で、米スリーマイル島(79年)や旧ソ連チェルノブイリ(86年)事故以来、原発開発から遠ざかっていたアメリカやロシアまでその事業再開に意欲を燃やした。だがそのつけは、最初に日本を襲った。
電力エネルギーの80%を原子力に依存しているフランスが、その主要エネルギー源を再生可能エネルギー(風力、太陽電池、地熱、バイオマス等々)に代えていくのは容易ではない。サルコジ大統領があわててわが国に飛んできたのも、今回の事故が自らの政治生命と、国運に関わる一大事とみての行動だったことは明らかである。
わが国で稼働中の原発基数と発電量はアメリカ、フランスに次いで現在世界第3位の地位にある。しかし建設中ないし計画段階のものを含めれば近年中にフランスを抜き、一躍世界第2位の原発大国になる。そうなれば日本も、もう後戻りはできない。
電力需要さえ満たせばお国は安泰なのだろうか。海国日本の沿岸に、今まで以上にたくさんの原発が建ち並べば、どういうことになるか。むろん地震や津波の恐れがあるが、テロや敵国にとって格好の標的となる危険性も考えておかなければならない。逆に近隣諸国は、いつ放射能災害をもたらすか分からない不気味で恐ろしい存在として、わが国への警戒心を強めることになるはずだ。
現に今回の原発事故では、当初の規模こそ小さかったものの、徐々に大気と大地と海洋に放射能汚染が広まりつつある実態が明らかになるにつれ、脱日本や日本離れの動きがグローバルな展開を見せ始めている。このような「風評」がマーケットに及ぼす影響は甚大で、底の浅い日本経済は間もなく不況のどん底にあえぐことになるのだろう。
今まで「原子力の平和利用」といえばすべてがまかり通ってきた。だが我々は今日こそ「原子力は両刃の剣」であることを再認識し、世界で唯一の原爆被爆国民として、平和的にも軍事的にも「核廃絶」に向けて総力を結集すべき時が来た、と思うのである。

第五福竜丸展示館
昨日は「夢の島」にある「第五福竜丸展示館」に行った。茨城県沖で捕獲されたコウナゴから、基準を超える放射性物質が検出された報道を読んでいたら、自然に足がこちらを向いたのだ。
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