▼ だが他校生ではなく、ボク等だけがその特権を享受できたのは、云うまでもなく岡田先生のお陰である。前掲「楽友」の記事に、先生はこうも書いておられる。「微力な自分として、何が何でもこの大交響曲(第九)の中へ諸君を巻きこみ、己の足らざるところを、諸君自身の力で、より高い音楽芸術の内面を、その力に応じて汲み取って、諸君自身の人の形成、音楽芸術への正しい理解に役立たせようとの心算で、ここ数回(第九演奏に)連続出演させたのである・・・」。もちろん岡本敏明先生や有馬大五郎先生の強力なご支援が得られたことも幸いしたし、そうした師恩に報いようとがんばった愛好会創設者たちの熱意も重要なモチベーションであっただろう。そうして「ボク等の『第九』」が実現したのである。これはいわば楽友会演奏史の原点となった希有の出来事だった。しかし、残念ながらその事実は時の過ぎゆくままに風化し、楽友会がその後「第九」演奏に関わったのは、「慶應義塾百年祭記念音楽会(1958年)」の時の1回だけ、それもワグネルの誘いに応じて実現しただけのことであった。それが私には何とも気がかりであった。先生や先輩たちから受け継いだ大切なものをないがしろにし、後輩たちに渡すのを忘れしまったような気がして良心が疼いていた。そんな折も折、橋本さんから前述の相談があったのだ。

自筆譜 |

合唱譜 |
今日、巷には「第九を歌う会」があふれている。N響と国立音大のコンビは今も続き、「これを聴かないと年を越せない」という人さえいる。その他一般に「暮の第九」と総称される恒例の演奏会は、日本各地で200会場を越すといわれる。「1万人の第九(大阪城/1983〜)」や「すみだ5000人の第九(国技館/1985〜)」といった気宇壮大な催しも既に30年近い歴史をもち、年中行事として意気ますます盛んである。逆に云うと一緒に歌う仲間探しは、競争が激化している。だからもし体力に自信があり、練習に誠実に参加できると云えば、経験者ならどこでも喜んで受け入れてくれるに違いない。だが一方では<今さら未知の集団に加わるのもなぁー>といった惑いもある。いや、むしろその思いの方が強い。
■ そこで今年最後のお願いである。現役・三田会夫々の幹事会・理事会の諸兄姉ならびに三田会合唱団(MMC)の皆様におはかりしたいのだが、MMCレパートリーに「第九」を加え、少なくとも4年に一度は上演してもらえないだろうか。もう一つ、ついでにお願いしたいのは「モツレク」の復活である。これも4年に一度は演目にお加えいただきたい。かつて楽友会には、これも岡田先生のご意向で<4年に1度はモツレク演奏>という伝統があったが、今は廃れてしまった。こんなことでいいのだろうか。創立50周年記念演奏会の時は一も二もなく<みんなが暗譜で歌えるモツレクを歌おう>ということで決まったが、今後そうした節目にボク等には何があるのだろう。60周年や定演60回記念は無為無策の内にアッという間に過ぎ、70周年(2018年)記念の年もすぐそこに迫っている。しかもボク等の年代の仲間はどんどんこの世を去っていく。これ等を考えれば「恒例の新年会」で旧交をあたためるのもいいが、「楽友会」の伝統を確立し、将来の方向性を定めることは喫緊の課題であろう。皆さんもっと議論しましょう。そして知恵を出しあい、よりよい伝統を育んでいきましょう。では、よいお年を!(オザサ/12月7日) |