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![]() 午年おめでとう |
● 俗に「馬齢を重ねる」と申します。今ではあまり使われなくなりましたが、これは「馬車馬のように働いてきただけで・・・」、と年配者が自分の長寿を謙遜して伝える時の決まり文句です。特に今年は午(ウマ)年なので、あちこちでよく聞きます。でも時には<馬に失礼だ>と思うことがあります。それというのも母方の祖父が馬政官という珍しい役職で何回か欧米に旅し、明治の昔に西洋の駿馬を選別して日本に送り、皇室料馬や軍馬の改良に尽くしたという話を幼い頃よく聞かされたからで、それ以来私は馬に特別の興味を抱き<馬は美しい!>と思うようになっていたからなのです。 |
▽ 少し成長して「ガリヴァー旅行記」を読みました。するとそこでは何と人(ヤフー)が馬(フウイヌム)の家畜となっていました。これにはさすがに驚き呆れ<いくら何でも人間を家畜にするとはひでぇー>と憤慨し、本を閉じてしまいました。しかし、後年その旅行記が単なる子供向けの冒険奇譚ではなく、不朽の寓話であり、風刺文学の傑作であると知って認識を改めました。アイルランド系イギリス人の著者ジョナサン・スイフト(1667-1745)は人間を家畜に擬することによって、名誉や金銭欲でがんじがらめになった当時のイギリス社会、より本質的に利己的な人間の醜悪さを際立たせ、その対極に馬の支配する「ユートピア」を描いて批判したのです。 |
![]() サラブレッド |
▼ ではなぜ馬がその主役になったのか。その理由は大人になり、イギリスに住んで分かった気がしました。当地で馬は、家畜といっても全く別格の存在で、街ではパトカーより騎馬警官の方が多いし、あちこちの公園では乗馬を楽しみ、競馬や馬術競技に興じる人々の姿をたくさん見かけました。もともと馬術は貴族のたしなみの一つでしたが、軍馬や騎兵隊の活躍と共に庶民も参加し、楽しむことのできるスポーツになったのです。正式競技に騎乗者がキチンとした礼装、優雅な動作で臨む姿は貴族趣味の名残りです。大学の馬術部にいた友は「ホント馬には教えられるよ」と、いつも手放しで称賛していましたが、確かに駿馬の所作には洗練された、一種の風格さえ感じるものがあります。スイフトもそうした思いで、馬を主人公に据えたのではないでしょうか。ちなみに、オリンピックで動物を伴う種目は馬術だけです。 |
▽ と、ここで<オイ、そんなに単純に褒めるなよ、西洋のサラブレッドや競走馬が馬の全てというわけじゃねぇだろう!>という内心の声が響きました。確かにそうです。もう長い時が流れて忘れていたのですが、若い頃、愛媛県今治市の野間馬とか宮崎県都井岬の御崎馬を見て<日本の在来馬はロバと似ている>と思ったことがありました。西洋馬と比べて丈が低く、短足・胴長で、まるで自分を見ているようでした(笑)。<農耕や荷役に適している>と感じたものの、お世辞にも美しいとは言えません。そこで、少しく前言を修正します。<「馬」といっても種類は多く一概にその特質や美醜を規定するわけにはいきません。ただ一般に「サラブレッドは体形優美で『走る芸術品』と呼ばれて(広辞苑)」います>。 |
![]() 野間馬 |
▼ そこで又ハッと思い出したのが「グリム童話集」の「寿命」です。この童話にはロバが登場しますが、私はそれをずっとウマと思いこんでおりました。マ、ロバはウマ科ウマ属なので、ウマの一種と思っていてもいいでしょう?
さて、その粗筋は; そこで人は<長寿>を喜んで始めの30年を懸命に働き、実りを得て家も建て、―サァ残りの人生をゆっくり楽しもう、と思ったのですがそうは問屋が卸しません。30年のいわば定年に続く18年はロバから貰った寿命なので、ロバ同様に重い荷を背負って働く日々が続き、次の12年はイヌの年寄り同様足が弱り、声はかれ、歯の抜けたみじめな生活となり、最晩年の10年はサル同様に道化たしぐさや妙な顔をして人を笑わせ、不味い餌を貰って過ごすだけの毎日となってしまいました>。 ▽ もちろんグリム兄弟がこの童話集を上梓したのは19世紀中葉のことなので、今の年齢とは違うでしょう。とはいえ老化のステップは昔も今も、ドイツも日本も違わぬようです。ということは、私はもうすぐサルが「いらない」といって返納した余生、すなわち認知症期を迎えることになるので戦々恐々としています。何しろ2012年度の高齢者(65歳以上)の認知症有病率は推計15%で、4人に1人が認知症、しかも年取るほど発症率は高まるというのです(日本経済新聞/2013年6月1日)。もう他人事ではありません。更に、その有病率はこれから年々増え続けるということなので、若い「楽友」諸君だって「明日は我が身」と覚悟しておかなければならないのです!!! |
■ 唯一の予防策は「知的刺激を頻繁に脳に与え続けること」だそうです。DNAとか環境のせいで発症は免れ得ないとしても、その時期を遅らせることは確実、と専門家が保証しています。では、いかに脳を活性化するか?先ずは「楽友」に寄稿することです。日記の形でいいから何か考えをまとめ、書き、文章にすることが最も簡便な知的刺激策の第一歩です。それがこの「楽友」HPに載れば、刺激効果は一挙に高まります。騙されたと思って寄稿しましょう。 (オザサ・2014年1月7日) |
![]() イエーィ初荷だ、初荷だ! |
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![]() Alec Wilder(1907-1980) |
評論家で作曲家のAlec Wilderが1972年にアメリカのポピュラー音楽作家の作品とその曲・詞について詳細に分析・批評した”American Popular Song : The Great Innovators, 1900-1950”を出版した。
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この時代の作曲家たちを俎に上げて、めった切りするという恐れ入りやの内容なのだ。 この意地の悪そうなWilderの写真を見てほしい。 この本を「基準」として、作曲家・作詞家・楽曲を評価し、Wilderの基準に相応しい作者と作品を”The Great American Songbook” と呼んでいる。 ”Jazz Standard”という言葉がより一般的に使われているが、これらのカテゴリーに含まれるポピュラー音楽作品は大体共通していると思ってよい。この当時に書かれた楽曲は星の数ほどある。その中で何十年にも亘って歌い継がれて残されてきた歌はアメリカ・ポピュラーソングの古典(Classic)である。 巨匠Irving Berlinに対しても痛烈な批評を書き、Berlinは激怒したという話が伝わっている。そのためこの本にはBerlinの譜面は一切掲載させなかったという。確かにIrving Berlinのページには譜面は1小節もない。そのIrving Berlinを含めて6人のコンポーザーには各1章をさいて個別に書いている。 Jerome Kern, Irving Berlin, George Gershwin, Richard Rodgers, Cole Porter, Harold Arlen 次は2人で1章、 Vincent Youmans, Arthur Schwartz 次は3人で1章、 以下のコンポーザーは「偉大な職人」という章に入れられている。 Hoagy Carmichael, Walter Donaldson, Harry Warren, Isham Jones, Jimmy McHugh, Duke Ellington, Fred Ahlert, Richard A. Whiting, Ray Noble, John Green, Rube Bloom, Jimmy Van Heusen これらのコンポーザーの作品以外にも素晴らしい作品が残されているので、章を改め”Outstanding Individual Songs”に多くの名曲が取り上げられて分析・評論されている。驚きの本というしか言葉が無い。 |
この写真は、2007年にKennedy Centerで”Living Jazz Legend(生けるジャズレジェンド)”として称えられた人たちの記念写真である。この写真はMarian McPartlandの孫からもらったものである。 アメリカでも「ジャズは死んだ」なんて言われる。そんな話をぶっ飛ばそうとしてこのイベントがDr. Billy Taylorの呼びかけで開催され、コンサートも行われたと言うことである。死んでは困る。 この7年間に死んでしまったレジェンドがいる。言い出しっぺのDr.
Billy Taylor、Dave Brubeck、Freddie Hubbard、George Russell、Louie Bellson、Donald
Byrd、Frank Wess、Mulgrew Miller、James Moody、Frank Foster、Marian McPartlandの11人だ。 |
![]() Pittsburgh Univ. in 1971 |
このピット大を描いたきっかけは、43年前の写真が出てきたからです。あまりに懐かしかったので細かい線ばかりの絵が、老眼をしょぼしょぼさせながら大晦日の朝に描き上がりました。 大きな画像と昔話が ⇒ こちらにあります。 (2014/1/7・かっぱ) |
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