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![]() 秋桜(コスモス) |
★ 時々Link先を訪ねて楽しんでいます。9月、藤岡幸夫氏のOfficial
Fan SiteのHot Newsを読んでいたら「敬老のうた『きっとありがとう』」の記事があり、関西フィルハーモニー管弦楽団が兵庫県多可町で現地の合唱団(?)と協演した動画が載っていました。合唱団員はかつて子供だった人たちが大半でしたが、皆さん童心にかえっての明るい演奏を聞かせてくれました。その日はちょうど「敬老の日」だったせいか、何とはなしにウルウルしてしまいました。 |
昔は古稀(70歳)や喜寿(77歳)の人と会うと「随分なご高齢!」と思ったものですが、いつの間にか自分もその仲間入りをしており、来し方や彼岸を思って、つい感傷的になってしまいます。 ▼ 次いでお隣の「舘野 泉 風のしるし」のホームページを覗いてみました。するとその「お知らせ」欄に、9月26日(金)に「左手のピアニスト― 舘野 泉―再びつかんだ音楽」という番組がNHK BSプレミアムで再放送されるというニュースがありました。<4月に放映された2時間番組、大好評につき再放送>ということなので、もちろんその日は朝9時からTVにへばりついて舘野君の近況をつぶさに見学しました。 一番感心したのは彼の元気さです。私と塾高同期ですから78歳の高齢なのに、隠居して暇を持て余している私とは大違い!私は「小人閑居して不善をなす」の類ですが、彼は「老いてますます盛ん」で国内外を飛びまわり、現役のピアニストとして大活躍。ご立派!!!という他ありません。 ▼ 彼は12年前にフィンランドのステージで倒れました。突然の脳溢血で、それ以来今日まで懸命の努力でリハビリに取り組んできたものの、未だに右半身不随は快癒していません。それにもかかわらず、その逆境を不断の努力で克服しつつ、健常者も及ばぬタフなスケジュールをこなしているのです。そのコンサート情報やNews欄を見ると今月だけでも旭川、仙台、東京の各地で4回6日分のコンサートがあり、来月も4回そして来年も・・・とひきもきらぬ演奏会や放送スケジュールが載っています。しかもしかも、軸足はヘルシンキに置きつつ東京と行ったり来たりの二重生活。片道の飛行時間だけでも約10時間は覚悟しなければならないはずです。しかし、そんなことを彼が苦にしている様子は少しもありません。いったい何が彼をこのような行動に駆り立てているのでしょう。 |
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▼ そこには「音楽へのパッション」という一言だけでは割り切れない、彼ならではの独立自尊の精神が強く作用しているものと思われます。例えば彼の自著「ひまわりの海(求龍堂/2004年初版)」にこんな独白があります(以下引用文中の()内は編注です)。
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![]() 求龍堂(’04年刊) |
ここだけ読むと彼は左手用のピアノ曲、殊にラヴェルの曲を忌避していると思えます。が、現実にはその後N響とこの曲を協演していますし、来月は日フィルとの協演も予定されています。ではその間に、どんな心境変化があったのでしょう? 前掲書の中の他の一章「闇の中p.230」に次のような記述がありました。
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▼ そう!そうしてここに自ら堂々と「左手のピアニスト」と名乗り、新しい音楽の地平を切り開き、その無限の可能性にチャレンジする新生・舘野泉が姿を現したのです。 そうなると周囲がほうってはおきません。既にして世界的なヴィルトゥオーソですから、国内外の著名な作曲家からの新曲献呈や、彼にとっては未知だった隠れた名曲の発見が相次ぎ、彼のレパートリーはみるみる増大し、それ等の曲だけで自由にコンサート・シリーズを構成できる程になったのです。たくさんのCDや書籍やメディアも公刊・公開され、いつしか「左手のためのピアノ曲」という音楽ジャンルが確立し、全国各地に広がる舘野ファン・クラブを中心に、多くのクラシック音楽愛好家を魅了するようになっていました。 |
CD (AVCL-25746) |
▼ 私もその一人でしたが、最も感銘を受けたのはバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調(BWV 1004)」の第5曲「シャコンヌ」を、ブラームスが編曲した同名(Chaconne)の作品でした。かつての舘野君のプログラムでは殆ど耳にした事のないバッハの調べが、ここに紛れもない彼の手で見事に紡ぎだされていたことに新鮮な喜びと感動を覚えました。 舘野君自身はこの曲について前掲書の「闇の中p.229」でこう記しています(長文ですが原本品切れにつき、勝手ながら引用させていただきます)。
■ 舘野君がこのジャンルのパイオニアとして、ますます活躍されることを期待しています。 (2014年10月7日/オザサ) |
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![]() 石井 一氏 |
六本木でライブハウスを経営する金城純一さんというオーナーに「どこかジャズの歌える店に連れて行け」で、金ちゃんは石井さんをマヌエラに連れて来たというわけです。 |
何の前触れも予約もなく突然2人で現れたので、私は目を丸くしてびっくりしていると、私の隣にお座りになり名刺を交換しました。でっかい名前が書いてあります。 「この店が気に入った」と、”All of Me”と”My Way”を朗々と歌われました。スタンフォードの大学院出身ですから英語もお得意です。 本年4月に旭日大綬章を受章されたのですが、11月に開かれる「受章記念感謝の集い」に招待されてしまいました。 古い話が出てきました。1953年にJATPが日本にやってきた話で、日劇でコンサートがありました。私は普通部1年生の頃です。もちろん、そんなことこれっぽちも知らない頃です。石井さんは18歳のときだったといいます。 |
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1953年に日本にやってきたのは、オスカー・ピーターソン・トリオ、ジーン・クルーパ・トリオ、エラフィッツ・ジェラルドらです。JATPを日本に招んだのは日本マーキュリーですが、前身は兵庫県のタイヘイレコードという会社です。その社長は石井廣治という人物ですが、石井 一さんはその長男ということです。 石井元大臣がJazz通だという話にはうなづけました。
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Joe Sample(1939-2014) |
![]() Joe Sampleは75歳だから、若過ぎるといわなければならない。日本にも何度も来てライブやコンサートを聴かせてくれた有名ジャズマンだった。 (2014/10/7・かっぱ) |
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