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★ 当ホームページが8周年を迎えた。こんなに長く続くとは思っていなかった。せいぜい5年と思っていたのだが、始めた頃生まれた孫が、もう立派な小学生となっているので、改めてビックリしている。月日のたつのが一段と早く感じる。その主因は、普段からあまり日取りを意識しなくなったからだろう。 |
例えば「婚礼の日取り」があるとする。その日が来るのを待ちわびていれば「一日千秋の思い」ということで、日が経つのを遅く感ずるのは道理である。だが隠居の身には、そんな待ち遠しい予定もなければ、日常の達成課題も殆どない。だから年寄りは一般的に時間的観念が薄れ、ある時フッと気づいて<アレ、もう7年?>となるのだ。 ▼ 話は飛ぶが、楽友三田会は相当に贅沢だ。会の機関誌が2種もある。一つはA4サイズ8ページの「会報」で、これは年2回/全会員宛に郵送されており、他の一つがこのホームページである。後者は個人的な趣味で始めたものが、役員会からの要請で公式メディアになったという経緯があり、会からの支出はゼロである。一方「会報」の方は、人件費はヴォランティアの奉仕だからゼロとして、印刷費や通信・郵送費、会議費等は少なく見積もっても、年間約50万円は支出されているはずだ。昨年度の収入総額は総会資料によると約100万円だから、実にその半額が「会報」に費やされていることになる。以上を総括して私はこれを<贅沢>と称したのだが、いかがなものか。機関誌が何種あろうが、その他のコミュニケーション・チャンネルがいくつあろうが、それ等が有効に機能しているのであれば問題はない。だが最近は何れもがマンネリ化し、このホームページにしても投稿や寄稿数が停滞してきた現状を見ると、フトその存在意義に疑念が生じてくる。 ▼ とはいえ性急に「会報」やホームページ不要論を唱えるつもりはない。個人的なことだが、私は’50年代半ば、高校生の時に2年上のマッチャン(故・松延貞雄/2期・’96年8月逝去/享年62歳)を手伝い、創刊間もない「楽友」の編集に携わり、その縁でこの先輩と無二の親友となった。卒業後も勤務先が共に京橋にあり、近いこともあって3日と空けずにランチしたり夜遅くまで飲んだり、さらに不思議なことに、イギリス赴任も時期がほぼ同じだったので、彼地で度々スコッチなどを酌み交わし、その後も彼が急逝されるまでの間、繁く会い、楽友会情報を肴に酒を飲み、類も稀な親交を深めたことが忘れられない。 |
▼ また、’76年には新しい友を得た。11期の杉原泰雄君で、たまたま代表幹事会で同席し、共に「楽友三田会報」を創刊する役割を担ったことから交友が始まった。当初は官製ハガキに「お知らせ」を印刷する程度の簡素な「会報」作りだったが、やがて銀座をうろつく仲となり、5期の斎藤君や9期の海外さんも加わり、楽友会の伝統を受け継ぐ宗教音楽専門の合唱団(東京スコラ・カントールム)を創設しようという話に発展。そうなると、その練習や打ち合わせで毎週2-3回は会うことになり、その後は必ず飲み会となるので、これはもう親友というよりは、実の兄弟以上の交わりとなったのである。 |
![]() 浜木綿 |
▽ こうした篤い友情や貴重な想い出が濃厚に刻まれているから、機関誌「楽友」や「三田会報」を経費の問題だけで簡単に切り捨てる気にはなれない。むしろより内容を充実して続けてほしいと願っている。だが、紙の本や新聞といった印刷物は、遅かれ早かれ、いずれ淘汰される運命にあるのも事実だ。今既に出版不況と云われ、多くの出版社や街の本屋が姿を消している。私自身も最近は、大好きだった本屋での本探しを諦め、もっぱらNet shoppingに頼らざるをえなくなり、ついでにAmazonのKindle(電子書籍リーダー)を発売当初から愛用することになった。使い慣れてみれば、確かにこれは便利だ。同じ内容の本や新聞が紙と電子書籍の両種で同時発売されたら、間違いなく後者を買う。一番の理由は、文字の大きさが視力に応じて変えられるからである。高齢者の視力はどんどん衰える。眼鏡を取り替えてもすぐダメになる。だが読書欲はある。時間もある。そうなるとどうしてもPCやKindleのような文明の利器に頼らざるを得ないのだ。 ▼ 周知のように、日本では少子高齢化が急速に進んでいる。それに伴い、視力減退者数も急速に増加している。楽友会も無縁ではない。前記した海外さんもその一人で、’06年に逝去される直前まで一緒に合唱していたが、60歳過ぎた頃から普通の楽譜が読み難くなり、こんな愚痴をもらしていた。「もう、嫌んなっちゃうの。ホラ、これが練習用のA3に拡大した楽譜コピーよ。だけど、こんな大きいの持ってステージに上がれないでしょ!だから暗譜するっきゃないの!でもねー・・・・・」。他人ごとではない、最近は斎藤君も同じ悩みを抱えているし、私もすぐそうなる筈だ。早くタブレット型の電子楽譜リーダーでもできないと、OSFの団員たち全員が困ることになるだろう。 |
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■ というわけで、このホームページ「楽友」は、今後ともますます内容を充実させ、楽友会に欠くべからざるコミュニケーション・メディアとして発展していかねばならないと思うのだが、どうも最近は寄稿数が少なく、停滞気味なのが悩ましい。いくら頼んでも梨のつぶての無愛想な奴もいる。だがそれが全てではないと信じている。多くの現役や三田会員の、心ある人々の自主的情報提供や寄稿を切望している。創刊8年目の、改めてのお願いです。 (2015年7月7日・オザサ) |
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![]() 幻の門から旧図書館 |
KKGとは後期高齢爺さんを意味します。 それに編集部からの注文に快く応じ、原稿を送ってくれる楽友の皆さんの協力があってこそです。原稿を忘れている方は耳が痛いでしょうが、書いて送ってください。 そうして、格調の高いホームページを維持することができ、次々と増える新ページの動向は「最近の更新記録」を見ていただけば一目で分かります。このようなホームページはきわめて珍しいと言えます。 今後も、皆さんのホームページ「楽友」を育てる気持ちで、依頼が無くてもどんどん原稿を書いてください。送ってください。特に、若い世代の楽友にもお願いしたいと思います。 |
大体の人は高校生の頃に「確率と統計」なんて、ちょっとだけかじらされてたちまち嫌いになってしまっています。もったいない話ですね。嫌いにさせるなら教えなければよいのにと思います。 それから日本式の教育制度というのに昔から疑問を持っていました。なぜかというと、人間皆違うことを前提にしていないからです。違う種類の動物を1つの檻にいれて、同じ訓練をしようとする調教師、それが今の学校の先生のおかれた状態です。先生も生徒も可哀相なのです。そうさせたのは言わずと知れた文部省というお役所です。サボテンとチューリップを同じ鉢に植えて毎日水をやってごらんなさい。まず、サボテンが腐ります。
という考えを示し「教育の私立為業」の大切さを説きました。
森 有礼は一橋大学の前身となる私塾・商法講習所を明治8年(1875)に創設し、伊藤博文内閣では初代の文部大臣になりました。 そうなると、そもそも「教育」という言葉が気に食わなくなります。「教え、育む」では独立心は養えません。こどもは、常に教えてもらう、育ててもらうの受け身になってしまうのです。花を美しく咲かせるのに「教育」は必要ありません。自らが育つ環境を与えてやればよいのです。
教育の荒廃が叫ばれる今日、福沢の精神に立ち返ることの重要性を誰も声を大にして書かないのは何故だろうと不思議でしようがないのです。 (2015/7/7・かっぱ) |
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