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![]() 信時 潔(1887-1965) |
● 今年は「戦後70年」。各地・各メディアでさまざまな記念行事が展開された。私はその内の一つ<信時潔・没後50年>に着目した。 その人の名を見れば、塾生・塾員ならすぐ「塾歌」を想起するだろう。それは1941(昭和16)年に発表されて以来、74年の永きにわたり全塾のあらゆる公式行事や慶早戦等で歌い継がれてきた校歌である。だから当然といえよう。次いで私は「海行かば」を歌った。若い人はこの曲をご存じないだろうが、その昔は「第二の国歌」とも言われるくらい頻繁に歌われた曲である。それで、終戦時に小学3年生であった私ですら、未だに全部そらんじているほどになじんだ曲だったのである。 |
▽ 歌詞は次の通り(「万葉集」巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」中にある、大伴家持の長歌の一部)。 海 現代語で意訳すれば「海で ▼ だが戦後、この歌は急に鳴りをひそめた。GHQ(占領軍総司令部)がこれを軍歌の一として、演奏に難色を示しらしい。信時の無念は想像を絶する。彼が時流におもねり、好戦的な軍歌を作曲したり、自ら帝国主義的な音楽活動に参画した痕跡は全くない。むしろ1887(明治20)年に牧師の息子として生まれ、讃美歌や教会音楽と共に育った彼は、骨の髄から平和主義者であった。しかし、進駐軍の意向に異を唱える者もないままこの曲は、世間から忘れ去られてしまったのだ。 ▼ 1940年に作曲された、信時音楽の集大成とも言うべき「 ▼ そして8楽章で構成された、ソリスト6人、混声4部の大合唱団と児童合唱、それにピアノと2管編成の大オーケストラを要する大カンタータが完成したのである。全曲の演奏時間は約1時間であった。ちなみに「皇紀」という紀年法は、神話に基づき神武天皇が初代天皇として即位した年を紀元とし、西暦のB.C.660年を日本の紀元々年と定めたもので、それを基準として計算すれば1940(昭和15)年(日独伊3国の軍事同盟成立や大政翼賛会が発会した年)が「皇紀2600年」となる。その皇紀を利用して歴史の長さを誇ると同時に、国威を発揚しようとしたのである。神話と現実を結びつけること自体が不合理なのだが、皇国史観の定着に躍起となっていた軍事政府は、そんなことにお構いなく、この年に全国的な祝賀行事を大々的に展開した。そしてそれが信時とこの曲の不幸となった。戦後は「海道東征」も「海ゆかば」と同様、帝国主義者の音楽として退けられ、封印されてしまったのである。 ▼ とまれ今年は<信時潔・没後50年>ということで、この2曲もようやく真価が見直され、 |
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(2015年12月7日: オザサ) |
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![]() Joe Williams(1918-1999) |
「邦ちゃん、ジョーに凄げぇこと習っちゃった」と言いました。それは如何にしてブレスをするかという話でした。
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この表現はじつに含蓄のある言葉です。テクニックではなく意識の問題を語っているのです。実際、足の裏からは空気は入りません。 ジョーはそれを裏付ける姿勢で歌っていました。足の裏でしっかり大地をつかみ、いつも背筋の伸びた高い姿勢で歌っていました。
31日に訃報が入り、沢田家からも電話があり「縁が深かった」と不慮の死を悼みました。 人間は病院で死にたくない。自分の家で死にたいと思うものなのでしょうか。その1年前、親父が84歳の時、肺炎で入院しました。「ドアを開けてくれ」というので、空気でも入れ換えたいのかと思い病室のドアを開けてやると、「家に帰ろう」でした。点滴、酸素吸入だの心電図だの管やコードが身体に一杯つながっているのにです。その翌日、息を引き取り望み通り家に連れて帰りました。 |
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ジョーはこの歌を自分のシグネチャー・ソングとしてテレビやライブで歌い続けていました。しかし、当時のVerveの愚かなプロデューサーはレコードの吹き込みを許さないので、自己啓発のためにプライベート・レコーディングをしてテープを作成しました。ところが、ジョーのマネージャーで以前Shirley HornのマネージャーでもあったJohn Levyが彼女にそのテープのコピーを渡してしまい、結局彼女が正規のレコーディングをする事となり、しかもグラミー賞等を取るなど大成功を収める事となってしまいました。 |
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ジョーは自分の歌を盗まれたと怒りました。 シャーリー・ホーンのCDが出された翌1993年、ジョーが吹き込んだアルバム「Here's To Life」の冒頭とラストに2曲の”Here's To Life”が入っています。1曲目はRobert Farnonアレンジのオーケストラの伴奏、特に最後の”Here's To Life”はジョージ・シアリングの伴奏によるデュオです。 時すでに遅く、衆目にはその曲はJohnny MandelアレンジのShirley Hornの曲となってしまっていたようです。衆目とはね。かっぱは衆目とは違います。ちゃんとオリジナルを大切にします。シャーリーはJoe Williamsの歌を聴いて触発されたと言っています。何と図太い神経なんでしょう。しかし、シャーリーは何年も前から、乳がん、糖尿病、関節炎と闘い、両足も切断し、失意のどん底にいたときにこの歌に出会ったのです。
というPhyllis Morinaryの書いた詞の出だしです。この歌に自分を重ねて歌ったものと思われます。彼女はこのCD録音を最後に95年、71歳の若さでこの世を去りました。
(ビデオを開いてから↑歌詞をクリックしてください)
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