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![]() オオイヌノフグリ(「季節の花300」より) |
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1月30日に「楽友会」の新年会があった。近年は体調の都合で欠席する事が多かったが、今年は幸いにも出席できた。弁解めくが、心臓に障害のある身は常にその発作の再発に備えていなければならぬ。もし発作が起きたら強い痛みのために意識不明に陥り、治療が遅れればオダブツになる、周囲の人にそうとうなご迷惑をかける・・・・・等々の事情で最近は遺憾ながら、欠席がちとなった。
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▽ とはいえ、この新年会は毎年頭の非常な楽しみであった。その昔―私の高校/大学時代、つまり50〜60年ほど前―は元住吉駅で皆と待ち合わせ、岡田先生宅に押し掛けるのが通例であった。もちろん先生もお若く、お子様もいらっしゃらない時代であったが、新婚の奥様にはさぞご迷惑なことであったろう、と今更ながら汗顔の至り。だが当時はみんなバンカラ学生。広島の銘酒をいただきながら、いい気分で盛り上がっていた。それが発展して今のカタチになったのだが、ワイワイガヤガヤ騒ぎながら飲んだり歌ったりする家庭的雰囲気は昔のままだ。 ▼ しかし今年は、特にシニア世代の暗い話題が多く、新年を祝う気分はドンドン落ちこんでいった。何よりも岡田先生ご逝去の空虚感が大きいが、不幸な状況に陥られた方の情報が例年よりも多かった。交通事故でひどい目にあった人、認知症になったと思われる人、孤独死の人、下流老人化した人等々、楽友三田会にも高齢化や格差社会の波が押し寄せてきている様子に慄然とした。 ▽ <コリャイカン!もっと明るい話題を!>と思って若い人たちが集っているテーブルに移動することにした。これも楽友会・新年会の好さで、出席者の年齢が20代から80代までと幅広い。もちろん全員が「友達」と呼べるほどの親しさはないが、今年の新年会のテーマは「つながり広がる楽友の輪」だったので、ズーズーしく私が若者たちのテーブルに割りこむには格好の口実であった。 ▼ 先ずはすぐ傍にたむろしていた「64期」の名札を下げた男声グループの輪にお邪魔した。そこに居たのは学部1年の若い諸君たちで、「4期」の私とはちょうど60歳の年齢差。いうなれば爺と孫との出会いだが、私には何の違和感もなく直ぐにとけこめた。ビールを飲み交わし、雑談をし、HP「楽友」の宣伝をし、寄稿のお願いをした。次いで若い女声グループの集いに移り同じような話をし・・・といったことを繰り返すうちに心は高揚し、瞬く間に時間が過ぎていった。 |
□ そんなこんなで終わってみれば、今年80歳になる老会員としてはだいぶ疲れを覚えたものの、気分はすっかり若返り<やはり来てよかった!>と思えるいい新年会だった。岡田先生ご不在の寂しさは、小林亜星大先輩が補完してくださり、その指揮の下、今や「楽友会歌」として定着した同氏作詞・作曲の「青春讃歌」を皆と肩を組んで大合唱!<ヤッパリ楽友会の新年会は最高!>と大満足して帰途についたのである。余禄として、その後のHP「楽友」のアクセス数は日頃の3倍で推移しているのが嬉しい。皆さん、今後とも皆さんのホームページをよろしく!いつでもいい、何でもいい、たくさんの原稿をお寄せください!!!(2016/2/7:オザサ) |
![]() きんせんか (「季節の花300」より) |
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![]() 元赤坂カナユニ |
横田さんは自宅が湘南にあるので、毎日、始発電車で家に帰っていたのだという。 かつては、銀座が12時に引けると、腹の減ったグルメがやって来る。ちゃんと夜中のディナー・メニューがあったのだ。バブルがはじける前はこうやって夜中まで開けている店が赤坂や六本木にあり繁盛した時代がある。 2000年代に入ってからは、社用族なる人種は消えた。景気が悪くて会社の金が使えなくなったからだ。 |
そんな時代の波を乗り越えてきた「カナユニ」は50年の歴史に幕を閉じることになり、3月26日に閉店だという。このような話になったのはビルの老朽化にともなう建て替え話がきっかけらしい。 われわれは社用族でもグルメ族でもないが、知り合いのミュージシャンや歌手がライブをやるときには、ライブを聴きながらサンビッツを食べるのを楽しみにしていた。根市タカオ先輩のバンドで鈴木史子が歌う日など応援に行くと、飛び入りで歌わされたりした。 ジャズ好きの横田さんは昔からオージーサンズが夜な夜な集まって練習をしていた今は無い西麻布のINDIGOというピアノバーに、自分の店の営業時間中にもかかわらず、われわれのコーラスを聴きにふらっと現れたものだった。 2004年に「カナユニ・クリスマス・パーティでオージーサンズ出演」ということになった。これは1,2曲の飛び入りとはわけが違う。ちゃんとプログラムを考え、事前からリハーサルもして行かないと大恥をかいてしまう。 素人コーラスにもかかわらず、横田さんは何度もオージーサンズを呼んで歌わせ、そして、カナユニのフルコースをご馳走してくれる。時々、思い出して聴きたくなるのだそうです。
お客様は満席でお楽しみいただけたようだ。
店の名前は「かなりユニーク」からつけられたという。このような特徴のある店が無くなることは寂しい限りだ。食の文化がまた一つ失われていく。二度とカナユニのようなレストランが生まれることはないだろう。(2016/02/07・かっぱ)
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