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■■■■■■■ |
![]() 福沢先生御夫妻之墓 |
福沢家の菩提寺は善福寺だったが、福沢先生は常光寺に墓地を購入したので、常光寺に埋葬された。しかし、福沢家は墓所を常光寺から善福寺に移すことにした。常光寺は今の目黒通り白金台から上大崎の方に少々下った浄土宗本願寺境内にある。高いところからの地下水がこの寺の下を豊富に流れている。 |
土葬された福沢先生のご遺体は、何とその冷たい地下水によって埋葬時そのままの姿で守られていた。これは各新聞社の大ニュースとなった。1977年、掘り出したご遺体を火葬に付して、麻布山善福寺に墓を移設したのである。その頃、福沢先生の遺言は「善福寺に埋葬せよ」という話を聞かされた。それでは、何故、常光寺に墓地を購入したのでしょうか。謎です。 我が家の娘たちが子供の頃、麻布善福寺に近い三田に住んでいた。その頃は麻布十番の永坂更科や登龍に行くときに善福寺にお参りによく連れて行ったものだ。善福寺の住職、麻布弘海大僧正は、普通部の漢文の先生だった。よく、廊下に立たされたものだ。 そう、越路吹雪もこの寺に眠っている。ところが、山門のあたりから写真を撮ると、元麻布ヒルズ(森ビル)が何とも邪魔くさい。嘆かわしや!!
もともと善福寺の土地だったところを森ビルが買って建てたのがこのビル。森ビルは「和蝋燭に似せて建てた」と自慢しているそうだ。まずい人に売ってしまった弘海住職は後悔しているのではないでしょうか。江戸時代から、善福寺はこんな光景だったのです。現在の建物は全て建て替えられた新しいものです。
幼稚舎生が卒業するとき、福沢先生の奥様から「ご褒美」を頂いたのだそうです。その後もこのご褒美を卒業生に与えるという行事が引き継がれて、「 三田のキャンパスからは歩いて10分少々の距離です。現役の諸君、福沢先生に会いに、お参りに行ってください。(2017/2/7・わかやま) |
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