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夕方にキャンプから家に帰ってきます。毎晩、4歳半だったチビさんは大尉の膝の上でした。まず、英語を教えられました。それから、電蓄があったのでキャンプから何枚かレコード(当然SP盤)を持ってきて聴かせてくれました。ちんぷんかんぷんですが、軍歌ばかり聞いていた耳には気持ちよかったです。 昭和21年になってから、東京に引き揚げてきましたが、後から考えるとビング・クロスビーとかダイナ・ショアだったような気がします。2,3年後、神田の畜音堂で買ったレコード「ボタンとリボン」の歌詞”East is east and ・・・”は耳から聴いたまま唄っていました。 「一銭シートゥウェッ訓さんさのろんがーめえにっちょー」てな感じです。おかしい?
●「ワカヤマさん、汚い格好は駄目です」とはシュレーダー大尉の言葉。 ●「欧米人は、まず身なりを見ます」と。 ●いい身なりをしている人には、それなりの対応をします。 ●お袋は毛皮のコートでした。わたしもカワウソの襟巻き。我が家だけ、よそ行きでめかしこんで引き揚げ! ●京城駅、米軍のトラックで引き揚げ列車に横付け。大尉や中尉をはじめアメリカの兵隊が送ってくれました。 ●寒い時期だったので「コタツ」持ち込み。列車に積み込んでくれる。 ●布団毛布類も沢山運んでくれました。 ●引き揚げ列車は、客車ではありません窓のない貨車です。 ●1両だけはこれで暖房完備となりました。 ●ランプも持ち込んだので、真っ暗な車内も明るい。至れり尽くせり。 ●この車両に乗り合わせた人は「助かった」の一言だったと思います。 ●それで、一晩がかりで京城から釜山まで。 ●釜山港で「興安丸」に乗り込み。 ●戦前、戦中の関釜連絡船です。戦後は引き揚げ船です。 ●釜山港の埠頭には国連軍の兵士が沢山いました。 ●ベレー帽をかぶった兵隊に話しかけました。 ●「こんなチビが英語を喋る!」ってんで、大騒ぎに。 ●兵隊がみんなうちの家族のところに集まってしまった。 ●そして、お袋の荷物は持ってくれる。ガムなんかお菓子もくれる。 ●英語を喋ったチビは抱っこして乗船。 ●しかし、引揚者は船底に入れられるのだ。 ●この船に1等船室があることをオヤジは知っている。 ●ボーイにチップを切ると、親子3人は畳の敷いてある広い部屋、窓もあって外が見えるのだ。 ●地獄の沙汰も○次第とはこのこと。 ●甲板に出ると、この船の後には鱶(ふか)がたくさん着いて来るのが見える。 ●船から出た残飯を食べに来るのだ。 ●上陸したのは山口県仙崎という漁港、下関ではない。 ●民宿のような農家のような家で泊り、風呂に入れてもらう。 ●「ここは内地?」と聞いた。全部焼けたと聞いていたのに、何も焼けていない。 ●こんな田舎は空襲も無かったのだ。 ●翌日は超満員列車でがったんこがったんこ。内地は3等客車だった。 ●列車の連結場所の布が破けていて寒気が吹き込む。 ●一旦、名古屋の親戚の所に寄って何日か休んでから東京に移動した。 ●恵比寿の駅から馬の引く荷車に乗った記憶がある。タクシー代わりだったのか。 ●歩いたって10分もかからないところなのに。 ●渋谷の駅周辺は焼け跡だらけ。古い東横のビルは残っている。 ●氷川町の家は焼けずに、明治10年生まれのおばあちゃんが疎開もせずに頑張っていた。 ●東京空襲でもこの一角は焼け残ったのです。 ●その昔は、東京府下南多摩郡渋谷村という住所。お婆ちゃんに来た古い葉書にそう書いてあった。 ●その葉書、1銭か2銭だった。いつの物だろう? ●幼稚舎には歩いても行ける場所です。中通2丁目、渋谷橋、下通2丁目、天現寺橋。 ●こうやって極めてめずらしい引き揚げ体験をしたのです。満5歳になったばかりでした。 ●いまでも耳に残るキャプテンの声、「ワカヤマさ〜ん、リンゴですかぁ?」 ●「リンゴはありますか?」という意味です。 |
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