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わたしのジャズ友、ジャンボ小野(小野照彦)は脂の乗り切ったベーシストであります。ジャンボのベースの裏側を眺めたことがある方は珍しいです。何時のことだったか、私に見せてくれました。不思議な気持ちになりました。 彼が弾いているコントラバスは、1600年頃にイタリアのベルシアで製作されたガスパロ・ダ・サロ(Gasparo
da Salo・1540-1604)の名器です。ダ・サロはバイオリンの極めて初期の製作者で、皆さんがご存知のストラテヴァリの一世紀前の職人です。 |
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![]() ジャンボ小野(1954- ) |
ダ・サロのコントラバスは、現在、世界に5台とか6台しか残っていないと言われます。このベースを裏から見ると、
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何となんと、「聖母マリア像」が埋められています。ジャンボの弾くベースの音を聴きたくなりませんか? ジャンボは、 「その音色は深く、優しく聴くもの心を忽ち虜にしてしまう不思議な魅力を持っている」 と言っています。 一度だけでも結構、ジャンボのライブにいらして生の音をお聴き下さい。
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ジョアン・ジルベルトが、7月6日に自宅で亡くなりました。88歳でした。BBCによると数年前から体調が悪かったと伝えています。死因については不明です。 2003年、東京国際フォーラムでコンサートが開かれました。 ボサノバの「法王」とか「神様」とか昔から言われてましたが、それが初来日でした。オージーサンズ一家で出かけました。ところが、開演時間になってもホールに現れず、「まだ、ホテルを出発していません」なんて実況アナウンスが逐一流れ、結局、1時間40分遅れで始まりました。 歌っている途中で眠り込んでしまい、20分微動だにしない。 |
関西など地方から新幹線で来た客は、終わるまで聴いていられません。寝ている間にどれだけ帰ってしまったか。われわれもバカバカしいので途中で退席し、有楽町で遅い夕飯にしました。 こんなひどいコンサートは初めての経験。批判がましく、コラム1ページを書いたところ、ジルベルトを「神様」と崇めるファンから、 「あなたは音楽の分からない人です」 と、訳の分からない抗議メールが送られてきました。バカバカしいので喧嘩せず、そのコラムは没にしました。 9月だというのに、 「冷房は切ります」 「非常口のランプは消します」 その時以来、彼の記事は一切書いていません。 改めて紹介すると、2003年9月は東京で3回、横浜で1回の「奇跡の初来日」公演。翌2004年10月は東京で4回、大阪で2回の「奇跡の再来日」公演、2006年11月は東京で4回の「最後の奇跡」公演を行い、2008年11月予定の来日が果たせず、12月に延期したがついに中止となりました。 日本公演では常に満席の客を集めたようです。ジルベルト教徒が日本中から集まって来たのでしょう。 一体、何億円稼いだのでしょう?日本人は「いいカモ」なのです。 Quateto do Rioがインターネット上で、こんな古い写真を使ってジルベルトの訃報を出しました。この写真はOs Cariocas(Quateto do Rioの前身グループ)が持っていたボサノバ誕生ライブ(1962)の貴重な写真です。 何年か前にメンバーのNeil から私の所に送ってくれた写真と同じものです。写真の由来説明は、 ⇒ こちらのページ
が私以外にもいました。それは15期の井上雅雄君です。
とFaceBookに出した訃報に書込みました。私の所に抗議メールを書いてきたのは、そういう雰囲気を作った観客の1人なのでしょう。 雅雄君にはもう一つ驚かされた話があります。 ミュージカル「Million Dollar Quartet」が日本に上陸しました。2012年9月に渋谷の東急シアター・オーブで上演されることになり、我が家では4月に発売になったチケットが買われていました。
こんなミュージカルは楽友の皆さんには何の興味もないと思っていたら、雅雄君が「明日、わたしも行ってきます」とFacebookに書いてきました。かっぱ爺さんは驚き桃の木・・・ (2019/8/7) |
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