リレー随筆コーナー



日吉で見た夕日 ―「青春」雑考―

 

長谷 光男(7期)


少し旧聞に属するが、7月5日に三田のキャンパスで開かれた「慶応義塾大学混声合唱団楽友会」のOG/OBと現役生の交歓会に出席した時のこと。今年は30人もの新入部員が入ったそうだが、「受付」でその初々しい新人の“おもてなし”のご挨拶を受け、会場に入った。

会が始まって暫くし、新入部員とおぼしき数人とテーブルを挟んで話しているうちに、彼等57期生は今年、慶応義塾創立150年の記念すべき年に入学した事を改めて知らされ、7期生の私は、創立100年という、これもまた記念すべき年に入学した事を話した。

「そうだ、君達と私の間にあるこのテーブルの幅はわずかだけれど、この間には、丁度50年、半世紀という時の流れが渦巻いているんだね」と言いながら、慶応義塾の、そして楽友会の歴史や伝統について、いささか先輩ぶった話をした。彼等は半世紀の時の流れに感じ入りながら、私の話を聞いてくれていたようだった。


現役・OB/OG交歓会 2008/7/5 (クリックで拡大)

交歓会がお開きになっての帰り道、その日に逢った新入部員の顔を思い浮かべているうちに、ふと「青春」についていろいろな事が頭に浮かんできた。
 
ご存知の通り、古代の中国人は、四季に色彩を与えていた。夏は朱(あか)、秋は白、冬は玄(くろ)、そして「春は青」という具合に。あたり一面に青々とした草が生え出した光景を見た印象を、色彩化すると青になるのだろう。「青春」という言葉は、ここから生まれたという(これもまたご存知の通り、詩人の北原が「白秋」と名乗ったのも、これによると言われている。)

フランスのある詩人が、「もし私が神であったなら、人生の最後の部分に青春をもってきただろう」と言ったという事を、塾生の時に何かの本で読んだことがある。それを読んだ時、なかなかの名言と思った。「青春」は本当に楽しく、素晴らしい。その中で死を迎えられたら、どんなにか人生を充実したものとして感じながら、往生する事ができるだろうかと、その時は思った。

しかし、社会人になって40代の時だったか、もう30年も前の事になるが、ビジネスマンの間で、ウルマン(Samuel Ullman)の「Youth(青春)」という詩が非常にもてはやされた時があった。“Youth is not a time of life, it is a state of mind.(青春とは人生のある時期を言うのではなく心の様相を言う)”という一節で始まる、この詩に出逢った時、名言と思われたフランスの詩人の言葉も、私にとって少し色褪せた感じとなった。

ウルマン は言う。「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚の皺を増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ」。「年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、『驚異への愛慕心』・・・」。

            人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
            人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
            希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

これを読んだ時、そうか、「青春」とはその人の心の状態なのだ、とつくづく思った。

そして又、62歳を過ぎて退職間際になった頃、「荒れ野の40年」と題して西ドイツの国会で、あの有名な演説を行った、西ドイツ大統領(そして統一ドイツ後の初代大統領となった)ヴァイツゼッカーの「回想録」の中に、「青春の時代は素晴らしい。だがいつも羨望に値するとは限らない。」という文章に出逢った時、その言葉に妙に共感を覚えたのを思いだす。

翻って私が大学2年生の時、練習を終えて仲間と日吉の銀杏並木を歩いていた帰り道、駅の向こう側に大きな太陽が、赤々と沈んで行くのを見、〈 今、太陽が沈んでいくのは、今日が終わろうとするのではなく、明日また日が昇るためなのだ 〉と感じたものだ。夕日を見ても、それは「一日の終わり」を意味するものではなく、そこには常に「明日」という、輝かしい未来があるのを感じていたのだ。この時、私は確かに「青春」を感じていたに違いない。

交歓会で逢った、あの初々しい新入部員の諸君も、今、あの夕日を見ながら、あの時の私と同じ気持ちで、日吉の銀杏並木を駅に向かって歩いているだろうか。(08年9月16日)