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![]() TMAロゴ |
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![]() レコードジャケット |
それから数十年後のサックスを吹き始めた頃に、ずぶの素人女子高校生たちが吹奏楽を始めて全国優勝まで上り詰めるという痛快な映画「スイングガールズ」が大ヒットしました。この映画のモデルとなった高校は諸説ありましたが、その内の一つ蓼科高校(長野県北佐久郡)の指導部先生にアポを取り、同校を訪問し映画撮影までの秘話をお聞きしました。 |
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長野県蓼科高校の映画「スイングガールズ」関連展示物 |
思い起こせば、2006年に「映画・ミュージカル・楽器演奏〜感動が生き方を変える」というタイトルで、宝塚のソリオホール(レクルーム)で宝塚市民を対象に、全4回の「講演とミニ演奏の会」を開催したのが、その後の私の活動の端緒であったと思います。 元来音楽好きだった私は、サックスに出会ってからは勿論上手に吹きたいとは思っていましたが、それよりも好きな曲をどんどん吹きたいという思いが先に立ち、映画音楽、ミュージカル、クラシック、スタンダード、カンツォーネ、ジャズっぽい曲、演歌、童謡など、曲の数だけは未だにどんどん増えています。近年は楽譜はあまり出回っていない往年の名画の音楽(例えば、「パリの屋根の下」「めぐり逢い」など)を、講師の先生にCDを聴いて頂き、音符を起こしていただいて(いわゆる採譜)サックスで吹くといった方法で曲数は増えています。 サックスは19世紀中ごろにベルギーのアドルフ・サックス氏が発明した楽器で、2014年がアドルフ・サックス生誕200年に当たり、世界各地でイベントが開催されました。 |
![]() アドルフ・サックスミュージアム前(ディナン市) |
![]() ムーズ川に架かる長い橋の欄干 |
私は運よくその年にオランダとベルギーに2週間家族旅行で行く機会があり、アドルフの生誕地ベルギーのディナン(Dinant)市まで足を伸ばし、ムーズ川に架かる長い橋の欄干全部にカラフルな楽器サックスを飾り付けているという、極めて特異な景色を見る事も出来ました。
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![]() オープン当時の「宝塚文化創造館」 |
![]() 結成当時のTMAメンバー |
![]() ピアノとサックスの2重奏風景 |
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映画上映や演奏が終わると、会員同士の懇親を目的に公民館の日本間や居酒屋での乾杯をするのも楽しみで、また春秋には東洋紡健康保険組合施設の宝塚対嵐荘(2014年閉鎖)を借りて、映画及び音楽仲間たちと美味な神戸牛でのすき焼きパーティを開いては懇親を深めてきました。 昔の映画は傑作・秀作が多いと思いますが、世代が変わるとなかなかその思いが伝わりにくいのが常で、数年前から私が思う「クラシック映画論」について、以下のように説明すれば他の人に分かりやすいかな〜と、最近になって思うことがあります。 |
![]() 宝塚キネマと音楽を楽しむ会の仲間たち |
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東洋紡健康保険組合施設の宝塚対嵐荘でのパーティ風景 |
私の生きてきた時代も高度経済成長期であり、大変忙しかったように思いますが、ITが未だ開発されていない時代だったので、情報を瞬時に取得することは難しく、情報のある所、場所に出向く(アクセスする)必要がありました。つまり、辞書や百科事典を紐解いたり、新聞や雑誌を見たり、映画を見たり、音楽会を聞きに行ったり、レコードを聴いたり、絵画展に行ったり、読書をしたり・・・・。 この中で前半部分、すなわち辞書や百科事典を紐解いたり、新聞や雑誌を見たりが、あまり必要とされなくなりました。そして後半部分、つまり映画を見たり音楽会を聞きに行ったり、レコードを聴いたり絵画展に行ったり、読書をしたりは、映画を見たり以外は、音楽、図工、国語といった小中学校で知徳として教わる授業の課目にある分野であり、好きか嫌いかは個々人で違うにしても、基礎的な知識と実技は教わる芸術文化であることが分かります。 音楽に付いていえば、クラシック音楽の歴史について、バッハ、ヘンデル、ハイドン、ベートーベン、モーツアルト、ブラームス、ショパン、メンデルスゾーン、チャイコフスキーやドビュッシー、ラベル、ビゼー、ムソルグスキーなどから近代のヒンデミット、ベルグや武満 徹まで、名前は教科書にも出てくるし、ピアノやオルガンを伴奏に歌を唄い合唱する授業まであります。絵画も図工の時間に、画家の歴史について、ボッティチェリ、ミケランジェロ、ラファエロ、ミレー、コロー、レンブラント、モネ、ルノアール、ドガ、ターナー、ピカソ、ゴッホ、クリムトなどの名前と代表作が教科書に印刷されていたし、西洋文学ではシェークスピア、ヘルマン・ヘッセ、トルストイ、ドストエフスキー、ヘンミングウェイ、日本文学では森鴎外、樋口一葉、夏目漱石、山本有三などを必ず思い出します。 ところが、映画はそれを芸術文化と認めるか否か、つまり単なる大衆芸能と考えるかどうか議論の分かれる所かと思いますが、学校の授業では取り上げられないこともあり、また一本の作品を鑑賞するには最低でも2時間程度は時間を要することもあり、どれが良い作品なのか?分からないし、私の思う良い作品は殆んどが1940年代、50年代、60年代に集中していて、それらの作品を見る機会はなかなかないし、感動を呼ぶよい作品(傑作と秀作)に行きつかないのが現代の社会ではないかと思います。傑作・秀作に仕上がる映画は、その理由の一つに、原作や脚本及びテーマがしっかりしていたものが多く、それを支える監督や俳優やキャメラや音楽が、またしっかりしていたためかと思います。 ここで思い切って言ってしまえば、90年代以降に制作された映画は、強い刺激を求める人たちには満足のいく作品かも知れませんが、観る人に感動を与える良い作品は殆んど無いと言っても過言ではありません。 ですから、現代の人たちが少ない時間を割いて劇場で見る映画は、例えば、文学でいえば古典を読むことなく、いきなりピカソや池田満寿夫の作品を見ていたり、音楽で言えば古典派やロマン派の名曲を聴かずして、ベルグや武満 徹の音楽に接している可能性が高いと思います。 どんな芸術文化でも同じですが、よい作品に出合うまでには、その数の数倍または時として数十倍もの平凡な作品や駄作、見るに値しないくだらない作品を見聞きする中から、良し悪し(好き嫌いを含めて)の価値基準が自ずと自分の中に出来てくるもので、その過程もまた大切だと一方で思います。しかし、現代社会はあまりにも忙しいのと、映画に関してはもう一つ厄介なことに、作品の保存状態で経年劣化してカラー物は色彩が衰える度合いが、他の芸術文化の作品と比べかなり激しいので、古い時代の映画を沢山見ることは、殆ど不可能に近いと思います。音楽ではレコードが同じように劣化しますが、音楽の場合には作曲家の作品の演奏であり、演奏者の作品の劣化であって、映画のオリジナリティとは少し異なると思います。私の思う感動をもらう良い作品(傑作・秀作)は、1960年代以前に殆ど制作されていて、従って、それらの事を私は「クラシック映画論」という呼び名で理解して頂こうと思うようになりました。 (2017年4月) ■ ■ ■ ■ ■ |
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