リレー随筆コーナー

素晴らしき仲間との出会い



北村 哲(高10期)


中学校時代に吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた私は、塾高での部活をオーケストラにするか、応援指導部のブラスバンドにするか、迷っていました。オーケストラにおけるトロンボーンの出番は、吹奏楽に比べれば大変地味なものです。一方、炎天下の応援スタンドで演奏する気にはなれませんでした。他に音楽ができる部活は無いのか、あまり積極的ではない理由で楽友会の練習場に足を運びました。合唱は、それまで授業でやったことがある程度でしたが、やさしい先輩方と居心地の良い雰囲気に、野良猫が家に入り込むようにそのまま居ついてしまいました。

それが、現在まで50年近くにわたる私の合唱人生の始まりです。兄がスズキ・メソードのバイオリン教室に通っていたので(昭和32〜3年頃です)、クラシック音楽を聴く機会はそれなりにある家庭でしたが、楽友会の同期や先輩、後輩の音楽的レベルの高さには驚かされることばかりでした。楽曲に対する豊富な知識と深い考察、大人の指導者が楽曲を説明しリードするのではなく、ベートーベンやブラームス、さらには日本の楽曲の歌詞についても、独立した個性をもつひとりの音楽家として、生徒同士が議論し理解を深めていく姿に圧倒されました。岡田先生や女子高の渡邉恵美子先生に見守られながら、高い音楽性を備えた演奏に結び付いていったのだと確信しています。演奏会を聴きに来てくれた私のピアノの師匠も、高校生とは思えない音楽性の高さだと話していました。

皆さんのレベルに追いつくために少しでも多く生の音楽に触れようとN響の定期会員になり、カラヤン=ベルリンフィルから市川染五郎(現二代目松本白鸚)の「ラ・マンチャの男」までジャンルを問わず足を運びました。その間に田園調布の渡邉先生のご自宅で和声法や対位法のお話を伺い、目黒の今井敦子さんのご自宅で発声を指導していただくなど、楽友会で思う存分音楽三昧の日々を過ごせたことは、その後の人生をいかに豊かに彩ることにつながったか。全ての原点は楽友会にあったことは間違いありません。まさに「ゴールデンデイズ」だったと思います。卒業時の定期演奏会は、東京文化会館小ホールで、プログラムはメンデルスゾーン合唱曲集・モーツァルトのミサ・ブレヴィスK.194・カンタータ「土の歌」、アンコールは岡田先生の指揮でバッハのカンタータ147番「主よ、人の望みの喜びよ」でした。「土の歌」を指揮するにあたり、私は広島・長崎の原爆資料館を訪れるとともに、原爆関係や核開発の資料を読みあさり、大木惇夫の生涯について調べました。まだインターネットの無い時代、図書館や資料館に通い手探りで進めましたが、この時の経験は、社会人になってから広島の放送局で仕事をする際に少なからず役に立ちました。

単身赴任先の福岡や長野では地元の合唱団に加わり、森脇憲三、石丸寛、福永楊一郎、小沢征爾、久石譲などと所縁のある方々との交流も生まれました。現在は、知人に誘われア・カペラの男声合唱団で毎年演奏会を楽しんでいます。NHKのEテレ「びじゅチューン」という番組では、仲間たちとバックコーラスを担当させていただいております。

第2の職場となった会社は、東京文化会館やサントリーホール、東京オペラシティ、神奈川県民ホールなどの舞台・音響・照明を担っており、世界中の演奏家の姿を間近に見る機会にも恵まれました。すべては、楽友会で素晴らしい先生方、先輩・後輩・同期の仲間たちとめぐり会えたおかげです。最近では、後輩たちが世代を超えた楽友会の絆を結ぶよう頑張ってくれています。若い世代の皆さんが、音楽を通して豊かな人生をおくられることを祈念いたしております。とりとめなく書き散らした文章で誠に申し訳ございません。###


Valery Abisalovich Gergiev氏と

(2019/10/28)

バトンは高校楽友会7期の斉藤 豊君に渡りました。

    


編集部 夕べ筧君の投稿を編集したばかり、今朝は北村君の原稿が届いています。

10月になってリレー随筆の原稿が一通も到着していなかったところに月末になって続けての原稿です。夕べ「ホッ」としたばかり。

(2019/10/28・かっぱ)


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