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(1) 「第九」とは正式には「ベートーベン作曲 交響曲第9番ニ短調 作品125」です。第9番であることから「第九」と呼ばれるようになりました。 (2)
合唱団はいつステージに入ってくるの?・・・ 最終の第4楽章の合唱が始まる冒頭にバリトンの有名な独唱が響きます。それは、 (3) これを踏まえて何故N響の年末の第九だけが最初から合唱団がステージに整列しているかを説明します。 (4) ヨーロッパの本家本元の“あるオーケストラ”も実は今から100年近く前から年末の大みそかの夕方に「第九」を演奏してきました。ですから第九を年末に演奏するのは日本だけで年末の総決算の雰囲気に合っているとか、オーケストラ団員の小遣い稼ぎのボーナスの様なものだという通説は本当は間違っています。 (5) 世界で一番古い歴史の長い交響楽団(オ−ケストラ)はどこでしょうか?それはヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンのベルリン・フィルではなくカール・ベームやカルロス・クライバーやレナード・バーンスタインのウイーン・フィルでもなく勿論、アメリカのブルーノ・ワルター・コロンビア管や ゲオルグ・ショルテイ・シカゴ菅やユージン・オーマンデイ・フィラデルフィア管やジョージ・セル・クリーブランド管でもなく、それはドイツの首都ベルリンの南150キロの所にあるライプツイヒという町のライプチイヒ・ゲバントハウス管弦楽団です。「ゲバントハウス」とは織物工場という意味で270年前のスタート時はその工場を改造したホールでした。そこの楽長の事をカペルマイスターといい特にこのオーケストラの楽長は“ゲバントハウスカペルマイスター”(Gewanthauskapellmeister)と呼ばれます。 この世界最古のライプチイヒ・ゲバントハウス管弦楽団が、第一次世界大戦が終わり平和を願う声が高まってきたドイツで今から約100年前の1918年から毎年年末大晦日の夕方5時頃から「第九」を演奏するようになりました。これが日本で始まったのが第二次世界大戦終結後の1947年(昭和22年)であります。現在のNHK交響楽団である当時の日本交響楽団により12月の3日連続の「第九コンサート」として行われました。 (6)
N響の年末の第九だけが合唱団を最初からステージに整列させている理由・・・ (7)
それでは県内のアマチュアによる第九もそうすべきか?・・・ また、第一楽章からステージに出されているとまばゆい程の照明にさらされながら、多くの聴衆が見つめる中で微動だにできないし勿論、鼻もほじくれません。この“さらし者状態”で歌が始まるまでの約50分間を耐えなければならないのです。それと聴く方も別にドイツ人ではなくてバリバリの鳥取県人の方がほとんどで、意味が分からなくても目いっぱい声を張り上げた力ずくの演奏に終了後は感動の涙を流す人も多くおられます・・・倉吉の第九はそれでいいじゃないですか・・・私は個人的にそう思います。日本には「言葉にならない言葉」とか「以心伝心」とか「目は口ほどにものを言う」などの奥ゆかしい文化があります。 そしてもう一つ、ベートーベンさんもブロムシュテットさんもそこまでは気づいておられないと思いますが、ステージに入場するまでの第1楽章と第2楽章の演奏の間、合唱団は壁で隔てられたステージ袖に控えています。雑然と小道具や舞台装置が置かれている暗いその場所で息を潜めながら壁越しに流れてくる 演奏を聴いているのです。客席で聴くのとはまた違ったベートーベンの音楽をその暗闇の中で感じているのです。 (8)
私が大切にしている一枚の第九のレコードについて・・・ 時を遡って20代の東京本社勤務の時に秋葉原の石丸電気という7階建てのビル全部がレコードショップという店である第九のレコード(当時はまだCDは発売されていませんでした)を買いました。 ブロムシュテットさんの一代前のカペルマイスターのクルト・マズアの指揮、ライプチイヒゲバントハウス管弦楽団、ライプチイヒ放送合唱団、ペーター・シュライヤーとテーオアダムを含むソリストによる新装ゲバントハウスこけら落としのための演奏でした。クルト・マズアの指揮はカールベームよりもロヴォルト フォン・マタチッチよりも動作が小さく手首をコロコロ動かすだけのものですが、そこから崇高で感動的な音楽が導き出されます。私個人の感想としてこのレコードの演奏が世界最高の第九の演奏だと思っています。ですから、この一枚は国内外どこに転勤しても大切に“肌身離さず”持っていました。
(2021/2/5) ■ ■ ■ ■ ■ |
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