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近江路その1(びわ湖ホール)と若杉先輩と古典となる合唱曲
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自粛期間、自治体などの要請に極力反しない範囲での移動で滋賀県にて過ごす日々が増えています。県下の野菜を地産地消で楽しんでいますが、日中は琵琶湖周航歌ではありませんが、ぶらり一人歩きを、”今日は大津か近江八幡か”とローカルな旅を楽しんでいます。 滋賀県は琵琶湖を中心に北は日本海に近く、東は岐阜県や三重県と接するという広くて多様性のある地理的要因を持ち、観光スポットが分散しているうえに、少しマイナーな観光スポットを訪れるにはマイカーか地方のローカル私鉄、ローカルバスを利用することになり不便なところも多いのが実情です。かといって滋賀県は山間部を除き、栄えてきた農業や商業による富の蓄積で統計数値には表れていないように思える豊かな生活を営んでいる地域や人々が多いように見受けられます。 近江/淡海<おうみ>は15期の中小路さんや21期の水野さんと縁のある地でもあり、2011年10月の”歩こう会”近江路では近江牛やメンソレータムで知られた近江兄弟社が活動していた地域などを訪れました。滋賀県では関西の水瓶を守る県民意識があり、また琵琶湖は福井にある原発と距離がありませんから、疎水や淀川でつながる京都市や大阪市の飲料水を供給する立場として環境や安全への意識は高く、住民の家庭のゴミ出しの厳重な相互チェックから始まる環境の美化と保全は高度なレベルに達しています。
本年の春に、大津市にある、1998年に開館した日本でも有数の設備を有する歌劇場、びわ湖ホールの周辺を散歩しました。この劇場は隣接の立体駐車場ビルをあわせ建築費は332億円という巨費が費やされています。日本語Wikiには海外の演奏家などのベタ褒めコメントが書かれていますが、主に大阪や京都を拠点に生活していた私にとっては同ホールは音楽を聴きに行くには不便な立地で、実際の公演を聴きに行ったことは今までもありませんでした。マチネはともかく、徒歩圏内にある最寄りの駅は地方鉄道路線の住宅街にある駅ですし、JRや京阪電鉄の大津の拠点駅からは徒歩では遠く、雨天時や駅のタクシーの多くない台数を考えると足が遠のくところです。大阪駅周辺からは1.5時間ほど、京都の中心部からでも約1時間は必要です(JR新快速は、大阪-京都-大津、が所要時間30分+10分のダイヤだが)。開演時刻、終演後の帰宅を考えるとウィークデーや長時間の演目の場合など、どうしても”また次の機会にでも、他の会場で”と不義理をし続けていました。 なぜ”不義理”だったかというと、びわ湖ホールの初代芸術監督は楽友会の大先輩、若杉弘さん(以下、個人名は”さん付け”とさせていただきます)が務められていたから、本来なら若杉さんの在任中に一度は公演を聞きに行くべきだったからです。卒業後は勤務地や業務の都合で残念なことに、音楽会とは縁遠い生活を送る生活が続いたため、若杉さんの指揮を生で聴く機会には恵まれませんでした。 私にとって若杉さんの存在は奥様の長野羊奈子さんとともに楽友会のスピリット、それも岡田先生の指揮とあわせた貴重な体験を通して、素晴らしい若杉さんという音楽家が在籍されていた楽友会という認識となっています。少し細かく触れますと、1973年12月の第22回定期演奏会では岡田先生の指揮でMozartのGrosse Messe C-moll K.427の演奏に参加するチャンスに恵まれました。岡田先生の指揮は強調して感情を引き出すというよりむしろ、素直にソリスト、合唱、オーケストラを融合させていくものであり、姿勢正しく凛々しい指揮ぶりを間近にして歌わせていただいたこと今でも感謝しております。 オケ合わせは日吉の塾高の大きな部屋で二回ほど行われたと記憶しています(多分音楽室?間違っていたらごめんなさい)。恵まれた学校組織やすばらしい構成員による合唱団には違いない楽友会ではありますが、このC-mollのソリストとしてソプラノが当時、”歌のお姉さん”として皆が親しんでいた斉藤昌子さん、そしてアルトが若杉さんの奥様の長野羊奈子さんに参加していただいています。トップクラスの声楽家が大学の合唱団の公演に協力してくださったわけです。 私はベースの後ろの方から岡田先生の指揮棒を追いかけながらソリストの方々の後ろ姿を眺め歌わせていただいておりましたが、プロ中のプロの方の歌唱を同じ室内で聞かせていただき練習させていただいた、という体験は素晴らしい思い出となっています。このような方々が参画してくださったのはもちろん、岡田先生と若杉さんの楽友会への愛情と思い入れがあったからでしょう。
びわ湖ホールの前には予定される公演のポスターが展示されていました。目にとまったのは同ホールの声楽アンサンブルという団体の第72回定期公演「日本合唱楽の古典V」というポスターでした。普段ならその場をすぐに立ち去ったのでしょうが、「古典」という文字が気になったので、細かい演目にまで目を通してみました。 演目には「水のいのち」(高田三郎、高野喜久雄、初演1964年)、「地球へのバラード」(三善晃、谷川俊太郎、1983年初演)<敬称略>他が ”日本の合唱音楽の「古典」として愛される名曲の数々、 「水のいのち」が「古典」として紹介されていることに驚きました。「水のいのち」が出来て、歌ってから約50年の時の経過のなかで、曲の価値がますます高まり「古典」と形容されることになったのでしょう。「水のいのち」よりは一つ後の時代の「地球へのバラード」は「水のいのち」とはちがって予備知識がなければ詩も旋律も和声も非常に難解なものですし、指揮者、歌い手がよほど曲を消化していないと、聞き手には想いが伝わらないであろうと、私には難曲だと思うのですが、「水のいのち」も「地球へのバラード」も日本語での歌詞・言葉の(通常の人は母国語で大脳の作用で考えているはず)、良い意味での歌謡曲や演歌にも通じるところがある”文脈を少し逸脱した文言の展開”の語句で構成される詩によって、広がる時空間を旋律とともに創っています。 「古典」とは過去のある時代、時期を象徴する様式美や内容を持っており、かつ、その後の時間の流れの中で影響力を持つもので、時代のターニングポイントにもなったものをさすのでしょう。これら合唱曲は今で言うところの地球環境と生命という人類の最大で永遠のテーマを歌う名曲ですから、少し早いかもしれませんがまさに公演企画者により「古典」と位置づけられたのだと思います。 「水のいのち」はいくつかのバージョンがあるのですが、ピアノ伴奏版では伴奏の重要性がよく解ります。Youtubeで多くの演奏録画を見ましたが、ワグネル男性での畑中良輔さん指揮の伴奏の三浦洋一さん、小林研一郎さん指揮の早稲田グリークラブOBの伴奏の大室晃子さん、単語や助詞のつながりである歌詞が聞き手の中で生じさせる世界・空間・時間の流れ・感情を単なる引き立て役ではなくピアノパートとして共に歌っておられる名演奏です。 「水のいのち」の伴奏についての思い出を一つ。1975年卒業生(大学楽友会20期)前後の方でも、覚えておられる人は殆どおられないと思いますが、当時、既に”南こうせつとかぐや姫”のレコーディングでピアノ伴奏をつとめていた山田秀俊(Wikiでの南こうせつの項の記述にあるの山田さんとは別人)という大学での同級生がおりました。日本人離れして首には黄色いチーフなどを巻き少し目立った存在でした。彼は二回生の半ばあたりで三田(文学部は専門課程の二回生から三田)の授業には出てこなくなり、その後は、松田聖子のレコーディングなど多くのポップミュージックのスタジオピアニストの道を歩んでいます。 2018年の4月に四谷にあるライブハウスSound Creek Doppoでの彼のソロコンサートで約47年ぶりに彼と再会しました。終了後、近くのパブで軽く一杯となりました。彼は私や大学時代のことをほとんど覚えていませんでした。楽友会が「水のいのち」に取り組んでいた頃、楽友会の誰が、どのようにして、彼の技能、彼という存在を見つけ依頼したのか今でも不明なのですが、魚藍幼稚園ほかの練習に彼が、ピンチヒッターとしての伴奏ピアニストとして現れたのです。どっかで見たことがある、そうだ同じ専攻にいる彼だ、ということで山田くんを認識できたのでした。 彼はいわゆる音大付属とかの専門コースではなく趣味が高じて技量を高めてきたとのことでした。二・三回楽友会の練習のピアノ伴奏を勤めてくれたはずです。その半年後だったか一年後だったか、ある都内の大学合唱団の演奏会で楽友会の出番の直前の、ある別の合唱団が歌った「水のいのち」の伴奏を務めていたのが何故か彼、山田くんでした。既に学校に出てきていない彼でしたからビックリしました。曲のほぼエンディングになった時点で、舞台袖のそばで誰かが「山田・・・・」と小さい声で彼の名前を呼ぶような声が発せられるちょっとしたハプニングがありました。エンディングは合唱の歌詞が終わったあとピアノが高揚するリズムと和音で終わります。 アルコールで舌が饒舌になったこともあり、私は彼が練習の伴奏で楽友会のヘルプをしてくれたことと、他の合唱団で「水のいのち」の伴奏をしていたことについて話しかけ始めると、とたん、彼は最後のメロディーを口ずさみ、「あの時、自分の名前を呼ぶ声が少し聞こえたことで、とたん気が散ってしまい最後の部分の音を外した」と記憶を蘇らせたうえ、「あのミスはミュージシャンとなった自分のトラウマとなっていた」と”一生忘れない”とミスしたことを大切にしているとのことでした。 世間ではいろいろな分野で、”上手”と表現されることがあり、上手に越したことはないのですが、上手だけでは人の心を打つ音楽にはなりません。アマチュアの技量はプロに劣るのでしょうが、言葉という意思と感情をあらわす詩を歌う合唱においては技量もさることながら、曲に参加する人それぞれの生きてきて蓄積されてきた人間性が大きく現れるものです。「古典」が現代にも生きるのは、現代に生きるている指揮者、歌い手、演奏者が現代人としての解釈での演奏に臨むことで「古典」に新しい「いのち」が吹き込まれるからです。 ”年寄りの冷や水”は良くありませんが、卒業後、社会人になって「月光とピエロ」の”身過ぎ世過ぎ”の中でも歌心を忘れない人生を与えてくれた楽友会、また楽友三田会に感謝する次第です。 (次回、ブラひろし 一人で歩く近江路 −その2は ”近江商人の里を訪ねる”を予定しています。) (2021/5/5) ■ ■ ■ ■ ■ |
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