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CIRCLE BE UNBROKEN
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H氏さま、皆さん パリ祭なる言葉は日本だけで通用する物(日本ではシャンソン界で古くからパリ祭イベントとして定着している)とは知っていますが、7月14日の革命記念日のイベントの一つとして2014年?頃から始まったらしいという位しか知りません。 エッフェル塔のあるパリのシャン・ド・マルス公園で観客が50〜60万人というから凄い迫力でした。フィナーレに国歌ラ・マルセイエーズ(ベルリオーズ編曲)を出演者全員で歌うのは特に迫力がありました。フランス人の作曲家と言えばラベル、ドビュッシーなどが先ず思い浮ぶのですが、ベルリオーズは著名な名前の割に「幻想交響曲」くらいしか直ぐに思い出せない作曲家がラ・マルセイエーズの編曲をしていたとはちょっとびっくりしました。 このコンサートを観られた方がおられますか? 夏の夜の野外演奏会はウイーンフィルのシェーンブルン宮を始めベルリンフィルのワルトビューネが特に有名ですが、アメリカではボストン郊外タングルウッド野外コンサートが小澤征爾率いるボストン交響楽団で日本では著名になりました。日本では夏の気象状況が安定しないので、この種の野外の大掛かりなクラシック・コンサートは無理かな〜と常々思っています。 飯田武昭 ◆ 飯田さん いつも最後に素晴らしい花火のショ−がありますから、これはシャン・ド・マルスだけでなく、色んなところから見えますから、周辺に50-60万人が出るという事は言えます。いつもトップシンガ−が出て楽しく見れます。この日のフランス軍隊のパレ−ドも華やかでユニホ−ムがバラエティに富んで洒落ていますから、軍事パレ−ドではありますが、ロシアや中国のような威圧感があるものではありません。私も毎年楽しみにしています。 H氏 ◆ H氏さん ◆ 飯田さん、H氏さん 7月の第一土曜と日曜日に渋谷のNHKホールで華やかに開かれます。出演者も観覧者も年配者が多く、芦野 宏さん、司会の永 六輔さん、作家の戸川昌子さん、そしてパリにも住んでいらして中心だった石井好子さんが…とだんだん亡くなられてしまい寂しくなっています。群馬県渋川に《日本シャンソン館》も出来、行ったこともあります。 本場のパリ祭は賑やかで盛大に行われているようですね。 Oさん ◆ Oさん、 何と、当時、滅多に現れない館長の芦野 宏が生徒さんのレッスンで来館していると聞き、会って貰いました。 一緒に行った全員、一応名刺を差し出したのですが、芦野 宏がどんな人かも知らない連中ばかり?だったので、彼は私の名刺だけ別に仕分して後日に手紙を貰いました。私は高校、大学時代に月刊誌“シャンソン”を「映画の友」「スクリーン」と共に購読していたシャンソン好きだったので、その話を芦野 宏にしたところそのような振る舞いになった次第です。直、名匠ルネ・クレール、ジュリアン・デビュビュエ時代のフランス映画「巴里祭」「アンリエットの巴里祭」(ダニー・ロバン、ミッシェル・オークレール主演)「巴里の屋根の下」『遥かなる国から来た男』(ジルベール・ベコー、フランソワーズ・アルヌール主演)など名作・佳作が目白押しの時代がありました。 曲では「枯葉」「サン・トワ・マミー」「セ・シ・ボン」「オー・シャンゼリゼ」「パリの空の下」「バラ色の人生」「聞かせてよ、愛の言葉を」「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「ろくでなし」などいつ聞いても良い曲が多いですね。ピアノを弾かれるなら(私は弾きません)添付のシャンソン名曲集がCD模範演奏付でお勧めです。ところで、こーちゃん、こと、越路吹雪の記念碑が福澤諭吉翁と同じ、麻布の善福寺にありますね。懐かしい話題、有難うございました。 飯田武昭 ◆ 飯田さん、Oさん、 ◆ 飯田さん NHKホールのパリ祭では、菅原洋一、大地真央、山本リンダ、慶應卒の中村雅俊さん等少し若い?人もシャンソンを歌っています。 《枯れ葉》でも聞こえてくると良いのですが、ピアノの上は夫の物置場となっています…。 Oさん ◆ Oさん レコードではエディット・ピアフ、イヴ・モンタン、ジョルジュ・ムスタキ、シャルル・アズナブール、ミレーユ・マチューなどの他ジジ・ジャンメール・In Casino de Paris リネ・ルノー・in Casino de Parisが気に入っています。 飯田武昭 ◆ 魅せる歌手越路吹雪、聴かせる歌手岸 洋子が女性ではシャンソンの双璧だったでしょうか。新潟県村上出身のご主人が越路吹雪を贔屓になさっておられるのは、ひょっとして越路吹雪の名前の由来が彼女が新潟に暮らしたこと、同郷のよしみ、とも関係があるのでは。勿論、魅力的な女性ではありますが。 拙著の旅行記にも書きましたが、「ラ・メール」(La Mer・海)のシャルル・トレネと彼の故郷南仏のナルボンヌで遭遇した際、彼は云いました、「芦野 宏、石井好子などは友達だと」。僕が逢ったのは1969年でしたが、彼は「日本のコンサートから帰国したばかりだ」とも云いました。調べると確かに1969年に来日公演をしています。彼が厚生年金ホール、産経ホール、上野文化会館の名前を口にした時は仰天しました。それらの会場でコンサートを催したと、またビックリ。 芦野 宏は<ラ・メール>をシャンソン・デビューの1953年から歌いはじめます。56年オランピアで歌い60年<枯葉>ほかとともにパリで録音しました。終曲やアンコールは<ラ・メール>を選ぶことが多かったとのこと。 トレネと芦野は初渡仏1956年以来、彼のリサイタル鑑賞後やパリでの録音時にスタジオ来訪、トレネの来日コンサート1959の前座など数々出会いと共演があったようです。 「愛の讃歌」、越路吹雪、エディット・ピアフ共に好きです。 Y氏 ◆ S氏さん ◆ Subject: Re: パリ祭 この人の歌の巧さの証左は、宝塚には内緒で本名で昭和19年に毎日音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)に応募し1位なしの2位に入賞し、合わせて文部大臣賞も受賞していることです。この1位なしの2位というのは音楽学校で正規の声楽教育を受けていないレビューから来た人間を1位にするのは不味いという主催者側の思惑だったようです。 この人は演奏活動の他に非常に多くの弟子を育成したので現在でも指導を受けた歌手が多くいます。 私はシャンソンの深緑夏代とタンゴの藤沢嵐子が日本の女声歌手の2トップと評価しています。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ スポーツではないので勝ち負けはありませんが、端正な深みのある歌唱vs.ドラマティックな魅せる歌唱という気がします。 ピアフの第一の凄さはあの圧倒的な声量です。彼女が出現するまでは、あのオペラ歌手にも匹敵する声量をもったシャンソン歌手はいなかったと思います。 ◯Natsuyo Fukamidori ”Hymne
a lamour” 1992 深緑夏代 愛の讃歌 ◯越路吹雪 - 愛の讃歌 (from 「越路吹雪 華麗なる世界」) ◯Edith Piaf - Hymne a lamour
(”Paris chante toujours”) こちらの方がピアフの特徴がよく出ているように感じます。 おまけです。 「のど自慢」で優勝して「ピアフの再来」といわれてデビューを果たしフランスを代表する大歌手となったのがミレーユ・マチユーです。声量ではピアフにひけをとりません。南仏アヴィニョンの貧しい石工の14人兄弟の家に生まれたという出自もプラスに働いたようです。 レコードの売上は1億5千万枚以上で、11カ国語で歌えるヨーロッパ(特にドイツやロシア)で非常に人気のある国際的な歌手です。 歌唱は絶叫型に近く、もはや耳元で囁くというシャンソンというイメージはありませんね(^_^;)。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ■ ■ ■ ■ ■ |
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