リレー随筆コーナー

戦友 長谷川洋也さん


  田中 久夫
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1991年2月24日、楽友三田会合唱団の定期演奏会が芝ABCホールで行われた。ここで男声合唱として「山頭火」を歌った。中島はる作曲。本邦初演だと思う。練習のとき配られた楽譜は手書きだった。

その当時、男声合唱は全員で16名。各パート4人。その中でトップは練習の出席率が一番悪く、作曲家が下見に来た時トップは僕一人だった。「トップはもう少し増えると思いますが…」と指揮の福井良太郎さんがバツの悪そうな顔をして作曲家に話しているのを、僕は少し離れたところで聞いていた。

本番の前日、あまり練習にでてこなかった大先輩、長谷川洋也さんが来て、トップ四人の中の一人になった。まるで合わない! どうしてこんなに合わないのか、あした本番だ。

長谷川さんを初めて知ったのは、1959年終わりか、1960年初め、僕が大学一年のとき、女子高の教室で楽友会のミーティングがあったときである。ミーティングが終わるころ、男がぞろぞろ入ってきた。先輩の顔をした十数人。いきなり黒人霊歌を歌いだした。”Set Down Servant!”ずーっと盛り上がっていったとき突然 最高音、最強音の声が響いた。長谷川さんの ハイa だ。あごをぐっと引いて、声楽家の基本というような姿勢を保って一人で何小節も引っぱった。本当は彼はリリコなのだろうが、僕はドギモをぬかれて、その時以来、長谷川さんはドラマティックテノールだという観念が焼きついてしまった。

そのドラマティック・・・が「山頭火」のトップ四人の中に入ったのだから合うはずもない。もうあしたはダメだ、僕はがっかりして家に帰り、コンコンと眠った。あきらめるとこんなにも眠れるものか。

翌朝、目が覚めると、頭の中が空っぽになっていて、また何とかしよう、という気持ちが湧いてきた。芝ABCホールの楽屋でトップ四人が集まったとき、「トップがそろったのは今日が初めてだ。みんなで聞き合って行こう」と声をかけた。長谷川さんは「初めてか!ケッケッケッ」と笑った。

本番が始まり、僕自身も他のみんなも静かに声を出し始めた。聞き合い、聞き合って。僕はフォルテでも、ふだんの7割の声で。 それ以上出すと隣の長谷川さんが声をはり上げるだろうし、すると前列の筒井君もまけじとがんばるだろうから。とにかく僕はおさえにおさえた。その緊張感が良かったのだろう。結果は、もったいないくらい良く合った。曲の表情もつけられたと思う。

演奏が終わって、指揮の福井良太郎さんに「どうです? 良かったんじゃないですか」と言うと、彼は「良かったなんてもんじゃないでしょう」と言う。「どっちなの?」と聞こうかとも思ったが、悪い顔はしてないので、ホントに良かったんだと思うことにした。

それにしても長谷川さんはよく我慢してくれた。よく聞いて合わせてくれた。僕にはこの時、「困難に向って、共に戦う友:戦友」という感覚が生まれた。

それから15年経って2006年。ほとんど会うことのなくなった長谷川さんから電話があった。楽友会OBで65才以上の男声合唱団を作るから来ないかというものだった。 僕はその頃、武蔵野美術大学造形学部油絵学科の4年制通信教育を受けていて、最終年度にあたっていた。卒業制作というのは大変なものだと聞いていたし、卒業後も、絵の方にエネルギーをシフトしようと考えていた。だから長谷川さんが「戦友」でなければお断りしたと思う。しかし戦友であったためにほとんど何も考えずにOKした。

この合唱団の名はOSF(over sixty−five)。この合唱団は選曲が素晴らしい。

多田武彦作曲「雨」を歌ったとき、こんないい曲があったのか、心にしみ入るとはこういうことなのかと思った。

茅ヶ崎市美術館は日本庭園の中に立っていて、庭園の中につぎのような歌碑がある。


茅ヶ崎市美術館 日本庭園の八木重吉歌碑

蟲が鳴いてる

いま ないておかなければ

もう駄目だというふうに鳴いてる

しぜんと

涙をさそわれる

       八木重吉

多田武彦の「雨」の作詞者が誰だったか記憶していなかったが、この歌碑を見て八木重吉の作であると確信した。生きる姿が同じだからだ。

歌は歌詞で勝負するものと思う。

ドイツ歌曲も同じはず。

今、結構苦労してドイツ語の本を読んでいる。

はじめ、まじめぶって、ゲーテの「イタリア紀行」とか、グリム童話集を読みかけたが、長い休憩に入っている。


読み終えた本(左)と読み始めた本(右)

もう少し気楽に読めるものにしようと、ヴェニスを舞台にした少年泥棒団の物語(全380ページ)を今年のゴールデンウイークまでにやっと読み終えた。

そして次に、サーカスの団長で、綱渡りと猛獣使いの名手であり、今やシニアとなった男のロマンスらしき物語を読み始めた。

こういうものを何冊も何十冊もワクワクドキドキしながら読むようになって初めて、ドイツ歌曲が歌らしく歌えるものと信じている。

それが夢でなく現実になった時、我が戦友は、共に喜んでくれるだろう。

リレー随筆の次の走者は、20期の田中博さんです。 お楽しみに・・(2014/9/19)