リレー随筆コーナー

3人のシュトラウス


 塚越 敏雄(8期)



今上天皇の生前退位表明で、平成年号がどうなるか気になる2016年だが、平成元年から10年後の1999年という年も、音楽界ではなかなか賑やかな年であった。「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス一世の没後150年、その息子「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世の没後100年、そしてワルツを愛したドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの没後50年と、奇しくもシュトラウスさん3人の記念の年にあたっていた。

この3人はそれぞれ、日本人に馴染み深い曲を作曲している。シュトラウス一世の「ラデッキー行進曲」は、毎年衛星中継されるウイーン交響楽団のニューイヤー・コンサートで、最後に必ず演奏される。シュトラウス二世の曲で最も有名なのはワルツ「美しく青きドナウ」であろう。そしてリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツアイストラはかく語りき」も、よく耳にする曲である。映画「2001年宇宙の旅」で宇宙ステーションのシーンに流れた「美しく青きドナウ」、そして同じ映画の冒頭、宇宙の夜明けにおける力強い音楽が「ツアイストラはかく語りき」だった。

シュトラウス親子がスタイルを確立したウインナーワルツの特徴は、3拍子の1拍目がちょっと短く、その分2拍目がちょっと長く演奏されるというかすかなアンテシペーション(先取音)と聞かせどころでのルバート(テンポを自由に変える)である。どちらもやり過ぎると泥臭くなる。そこを踏みとどまって軽快さと優雅さを醸しだすのは、ウイーン育ちだけができる微妙な味付けなのだそうだ。

シュトラウス親子の時代19世紀後半は、帝政オーストリアの末期に当たる。シュトラウス親子も、父は皇帝支持派、息子は市民革命派で、政治の争いに巻き込まれたこともあった。しかし、シュトラウスの明るい音楽は、常に市民に愛された。「美しく青きドナウ」は、プロシアとの戦争に敗れたオーストリア国民を励まし、その後オーストリアの第2国歌とまで言われるようになった。時代が20世紀になって、リヒャルトの活躍した時代、ドイツはナチス政権下にあった。オーストリアを併合したナチスドイツは、ユダヤ人を弾圧した。シュトラウスは先祖がハンガリー系のユダヤ人だったから、本来なら彼等も追放の対象となるところだが、さすがのヒットラーも、ドイツ、オーストリアからワルツを追放することはできなかった。代わりにナチスは、シュトラウス一家の戸籍の改ざんを策し、教会の記録を隠してしまったという。ナチス時代が全盛期に重なったリヒャルト・シュトラウスは、第二次大戦後、ナチス協力者の疑いをかけられ、不遇な時代が続いたが、死後その音楽に再び注目が集まっている。彼が後半期に作曲したオペラには、美しいワルツがちりばめられている。

3人のシュトラウスは時代の波に翻弄され、社会的に厳しい境遇におかれたこともあったが、後世の人々に、その音楽が高く評価されるようになった。何時の時代でも、「本物」をおとしめたり、覆い隠そうとする動きはあるものだが、人間を感動させる「本物」は、簡単に壊れるものではない、と3人のシュトラウスさんは語っているようである。かえりみれば、楽友三田会OSF男声合唱団も、シュトラウス親子の曲には随分お世話になってきたし。今年のファミリーコンサートでは、リヒャルト・シュトラウスのツェチーリェを歌う。独唱曲として有名だが、合唱では独唱曲で味わえない繊細な美しいハーモニーの展開を味わうことができる。原語で歌うことがOSFのモットーだが、それも本物を追及しようという姿勢の表れと考え、頑張らねばなるまい。(2016/9/24)

    


編集部 3日前のOSFの定期練習日に出掛けて行った。

「『楽友』の随筆頼むよ」

皆さんが楽しみに読んでいる「リレー随筆」のことです。筆者、塚越君はリレーのバトンを渡す相手が見つからないと、1年半もそのままになっていた。見つからなかったら「自分で書きなさい」ということになっていた。そうしたら、その場で「3人のシュトラウスを書くよ」と言って、3日後の朝にこの原稿が届いた。というわけで、この稿にはバトンの渡し先の記述が無い。

確かに自分の後の書き手を探すことは容易ではないらしい。原稿を書くことが大変だし、煩わしいのである。そんな中でもこれだけ続いてきたのです。

「書いてくれる人がいなくなりましたので、本コーナーは…」なんてことにならないように、皆さんで盛り立ててください。自由投稿もOKです。(9/24・かっぱ)


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