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私は高校時代にも合唱をしていましたが、指揮者に求められる技能・知識は十分ではありませんでしたので、難行苦行の連続でした。 初めの試練は3年生の春のことでした。六連演奏会においてストラヴィンスキーの「結婚」を演奏し、楽友会と六連合同練習でその下振りをしました。この曲は変拍子が多く、8分の3、8分の5、8分の7拍子が頻繁に登場します。リズムを間違えないように楽譜を凝視するため、歌っている人に目が行き届かなったことを覚えています。 4年生の30回記念定演で演奏したブラームスの「ドイツレクイエム」の下振りも苦難続きでした。ブラームスが作曲した曲を数多く聴き、ブラームスがこの曲で何を表現したかったのかを追求しようとしましたが、聴けば聴くほど頭を抱えるばかりでした。また、フランス語を第二外国語に選択した私にとって、ドイツ語は難解でした。この時ほどドイツ語を履修しておけばよかったと後悔したことはありません。 私が六連などのステージで指揮した曲は「黒人霊歌集」です。東京文化会館の資料室に通うなどして、「深い河」、「ジェリコの戦い」、「誰もわたしの悩みを知らない」、「時には母のない子のように」、「ギリアドの香油」の5曲を選曲しましたが、ここでも語学に悩まされます。黒人特有の英語の発音です。先輩のアドバイスも受けながら、黒人の悩みや苦しみ、祈りをどのように表現していくかを私なりに考え抜いてステージに臨んだことを思い出しました。
こうして、同期で集まるときには愛唱歌集から楽友会時代の記憶がよみがえります。来年、集まる時にはどんな記憶がよみがえってくるか楽しみです。 次は同期の宇都宮日美さん(副幹事長)にバトンを渡したいと思います。 (2016/12/12) ■ ■ ■ ■ ■ |
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