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若い人には「ポール・サイモン」も「コダクローム」も馴染みのない名詞かもしれません。ポール・サイモン Paul Frederic Simon とは、映画「卒業」 The Graduate の主題歌 「サウンド・オブ・サイレンス」 The Sound of Silence で知られたフォークのデュオで、1960年代に大活躍した「サイモンとガーファンクル」 Simon & Garfunkelのミュージシャンの名前です。このデュオは 「ミセス・ロビンソン」 Mrs. Robinson、「明日に架ける橋」 Bridge Over Troubled Water、「コンドルは飛んで行く」 El Condor Pasaなどでも知られています。
ポール・サイモンには「僕のコダクローム」 Kodachromeという曲があることでも知られています。この曲の歌詞の一部を引用しますと
とあり、輝く色、夏の緑、晴れた日のすばらしさ、ナイコン(ニコン)、写真を撮るという歌詞から表題のKodachromeが写真関係の名詞だということはわかると思います。
歌詞
Kodachromeとは米国のKodak社が製造・販売していたポジ・フィルムの名称です。一般的なネガ・フィルム(レンズ付きフィルムなどにも用いられている)をフィルムカメラに装填して撮影するという手法は街のDPE屋さんが壊滅状態になった現在、限られたカメラファンだけのものになってしまいました。その場で紙のプリントが出てくる「チェキ」(昔はポラロイド)などは、カメラでプリントまで完結しますから生き残っていますが、フィルムはネガ・フィルム、ポジ・フィルムとも民生品としてはほぼ絶滅種になってしまいました(以下は一般的な民生品における考察であることをご了承下さい)。 “KodakのPRODOTTI(製品、複数)” という 赤と黄色のコダック・カラーの宣伝プレートの前でポーズをとるお猫様(2002年イタリアにて撮影)。古き良き時代であった。 写真の電子化は、紙に画像をプリントしての鑑賞や印画紙に画像を保存するという保存性においてデジタルはフィルム時代よりは退化しています。街の写真屋さんがなくなりデジタル画像をプリントしようとすると、自分で画像ソフトを操作し、取り扱いが意外に容易でない、褪色しやすい民生用家庭向けインクジェットプリンターで写真向け用紙に打ち出す必要があります(最近はZERO INKという携帯電話向けプリンター、カメラに内蔵のZERO INKもあるし、昇華型プリンターもあるが民生用としての用紙サイズは小さいものに限られる)。 都会では家電量販店などの店頭に足を運んで自分でプリント作業をするか、そのような作業をしたくないか、近くにプリント機を設置している店がない場合はデータをプリント業者に電送したりして、プリントを郵送や宅配便で配達してもらうことになります。 写真のデジタル化の落とし穴は画像データの管理・保存です。データの保存は記録媒体によっては、長期間の保存には全く向いていません。一般向けのメモリーカードなどは、データを読み書きする接続規格がいつ陳腐化するかわからないうえ、データが一瞬のうちに読み出せなくなる危険性もあります。電子化されたデータの写真が、どう保存されているかは他の紙やソフトなどで記録しておかないと確認すらできなくなります。つまり、第三者は記憶媒体の中にどんな写真データが保存されているかわからないので、遠慮せず遺品整理で廃棄できるというのが電子化データの最大のメリットになったのです。子々孫々まで伝えたい家族の写真、肖像などは劣化しにくい、プロの写真ラボで褪色しにくい方法でのプリントにして残しておくことが大切です。 “受恩刻石”という言葉のように石に刻んだ文字などはロゼッタ・ストーンのように5千年たっても残ります。 Kodak社の業態転換により、現在の民生品の写真用コダック・フィルムは新しい会社に引き継がれていますが、Kodak社は世界で初めてロールフィルムや天然色(死語!)フィルムを商品化し、カメラも製造していた巨大企業でした。 現在はミラーレス一眼カメラメーカーの大手となっているソニーですが、指揮者としても知られて東京芸大生時代からソニー社に出入りしていた大賀さんはゼンザブロニカという中判カメラの開発のアドバイザー的な役割をされたカメラ好き、出井さんも高校時代は写真部の部長をされていたそうで、2006年にコニカミノルタの写真関連部門を吸収する前のソニーの自社製品のデジカメの完成度の低さ(未熟な技術を製品化する意気込みは評価を受けることもあるが、手ブレ防止がついていないのに無理なギミックを使ったり、スライド式レンズカバーがボディーにあたって擦れるとか、思いつきアイディア、かっこよさ優先の製品が多かった)に対し開発陣に発破をかけられていたとのことで、音だけではなく放送用撮影機器でトップメーカーとなっている会社の経営陣がカメラ大好き人間であったことは、目に入る世界を感じ取り記録するカメラという民生器具の面白さを表していると思えます。 ゼンザブロニカというカメラ(大賀さんアドヴァイスでできた製品の次の世代のカメラ)でポジ・フィルム(フジ、ベルビア)で撮影した穂高連峰。フィルムのサイズは56mm×56mm(外周の黒枠はスキャン時の映像の外側の未露光部分)。このサイズの原画だと大伸ばし(拡大)しても、フィルムの粒子は目立たず、画像もデジカメ画像と違って破綻しにくくなります。右下の川べりに日光浴を楽しむ人を入れたのが単なる風景写真ではない散策の思い出の写真になっています。プロ用のフィルムとしてのさらに大きなフィルムのサイズは4×5(しのご101.6mm×127mm)や5×7インチや8×10インチなどの規格もありますが大サイズのカメラは三脚必須の撮影となります。大サイズのカメラとは昔、成人式や七五三で神社などにおいて、冠布(カンプ)をかぶって大きな箱についたレンズでピントなどを合わせ撮影がされていたものです。 次に、一時はやったパノラマサイズと呼ばれる縦横比の、(上下だけカットしている疑似パノラマサイズでない)本来の35mmフィルム版のパノラマ画像を紹介いたします。
出井さんが愛用していたパノラマサイズのカメラの次の代の改良版のカメラで撮影、画面サイズは24mm×65mmで縦横比1:2.708。フィルムはKodachrome KR64で色の鮮やかな再現性が特徴です。ポジ・フィルムはラチチュード(色などの画像の再現可能な幅、オーディオで言うところのダイナミックレンジ)が広くなく、再現可能な範囲に入っていれば素晴らしい再現性を示すのですが、いったん外れると、“白飛び”、“黒つぶれ”が発生します。逆にネガ・フィルムはラチチュードが広く、露光が極端に外れていない限り、プリント時にフィルムに残っている画像にあわせて、たとえば暗い画像を引き出して明るくプリントすることが可能です。レンズ付きフィルムは簡単な露出機能(シャッター機能)しか備えていなくても、プリント時に補正を利かすことで大半のケースできれいなプリントが得られます。ネガ・フィルムを短時間で現像から焼きつけ(プリント)まで仕上げてくれる街のDPE屋さん(この言葉も死語になりつつありますがDevelopment - Printing - Enlargementのアブリヴィエーションです)のおかげで写真・カメラがだれでも手にすることができる民生品となったわけです。 民生用のデジタルカメラも実はラチチュードは広くありません。センサー上で光を受ける際に“白飛び”や“黒つぶれ”は発生するのですが、それをセンサーの制御、画像ファイルへの変換ソフトで高感度、暗所に強い、ほぼ実用に耐えられるデジタル画像ができているのです。 デジカメの画像データではカメラ(本体)を円周をたどるように回転しながら何コマかを撮影し、その撮影データをソフトでつなぎ合わせ、合成パノラマ写真を作ることが(付属ソフトなどで)できる機種があります。良い条件の場合は、きれいなパノラマ写真となるのですが、実際のところは、太陽光などの光源の角度が異なる画像をつなぎ合わせることになり、無理につなぎ合わせると光と影が連続しにくくなるなど、不自然さも出てきます。 ◆ 続く映像はポジ・フィルムでの白飛びがあるのですが、私が気に入っているネコ写真を紹介いたします。 ベトナム、ハノイ郊外の農村部で撮影のネコと少女。私はベトナム語は全くできないのですがネコ好き同士は気持ちがわかるのか、猫を抱いてポーズをとってくれました。背景の左側が小屋の屋内で日陰の暗所、少女の顔にスポットを当てた露出だったため、ネコの口から首周辺の白い毛が露出オーバーとなり白色に飛んでしまったので露出的には失敗に近い例ですが。背景に裸電球がボケて写っているところが農村部の素朴さを表しています(ポジフィルム、フジ、プロビア100F、2003年撮影)。 ◆ 次は本題のコダクロームについてのお話です。 ライトボックス上のKodachrome KR64(ライトボックス:ポジフィルムのフィルムをそのまま確認するための薄い箱状のボックス照明器具)。 この状態がフィルムに写り現像されたままの未加工の状態です。 上記のフィルムを、民生用の普通のスキャナー(Epson GT-X900)で電子データとして取り込み、かつEpsonの技術者が考えているところの、きれいに見えるであろう色や明暗やコントラストが設定される読み取りドライバーソフトで電子ファイル化したものです。当時、街のフジカラーの店でフジのフィルムをCD化する場合、フジカラー店ではポジ・フィルムの現像はフジの指定現像所に送られて現像されるものの、スキャンしてのCD化はフジカラーの店の人がフジ認定のエプソンの同程度のスキャナーを使用し、フジ監修のエプソン専用読み取り画像作成ソフト(Epsonの通常品とほぼ同じだが、フジカラープリント機にも採用されている綺麗に見せる色調整ロジックが入っていたと思われるソフト)が使われていました。スキャン作業は出版社等が精密なスキャンを行うときはフィルムをシリンダーの上に貼り付け、回転させて画像を読み取るという精度の高い物が使われていました。プロラボでのスキャナーも業務用のフィルム専用スキャナーですが、基本は現在の民生用スキャナーと原理は同じものでした。 若山さんが楽友三田会のホームページ「楽友」で解説されているように、デジカメなどの画像のファイルの大きさや密度に関して、パソコンなどのディスプレーで鑑賞するにおいては、細かい密度(デジカメで言うところの画素数)や大きなサイズのファイルは不要です。
普通のデジカメやスマホでの撮影の設定だと画像ファイルの大きさは5-8000kb(キロバイト)=5〜8メガ・バイトというサイズが多いのですが、このサイズは民生用インクジェットプリンターの通常の写真打ち出し密度300dpiでA4(210×297mm)一枚を打ち出すのに必要な画素数が約8.7百万画素、商業印刷用の標準密度が350dpiの場合でも1100万画素で事足りるわけで、通常のL版(89×127mm)、はがき大サイズなどのプリントには有り余る画素数となっています。さらにパソコンのディスプレーで画像を見る場合は72dpiの表示密度で間に合うわけですから、ちょっとした画像ならファイルサイズは数十キロバイト、せいぜい100〜200キロバイトの大きさ(密度)のファイルがあれば十分です。画面で見るだけならコンデジも含め民生用デジタルカメラの画像作り設定は完全なオーバースペックで、必要性が少ない大サイズの写真ファイルを国民が日常的にネット環境で扱うのは日本の通信インフラやパソコンインフラに無駄な負荷をかけていることになります。ただし、何百枚に一枚かは大伸ばしのプリントにしたいこともあるでしょうし、ハガキ大にプリントして記念に人に差し上げるということもありますから、デジカメでは適度なファイルサイズ(LだとかM、Sという表示区分)を設定しておくと良いと思います。普段の法定速度での走行では不要の馬力や最高速度を民生用普通自動車は本来は必要としていないし、余裕を持たせる性能は必要ですが、馬力競争だとか最高速度競争という理系技術者特有?の競争心に加え営業が無意味な数値を欲しがった結果?の不必要な性能は、一方で全体のコスト制約から、どこかで割を食う部分が出てきて、結果的に完成度が少し落ちるというのが、どこの業界でも二番手三番手の製品によく見られます。 一般論としてフィルムでの画像とデジタルカメラのセンサーで撮影した場合との明らかな違いは(この画面をディスプレー上で見る範囲においてはわかりにくいと思いますが)色の厚み・深み、像の立体感、全体の立体感が格段にフィルムが優れていることです(このスキャン画像もデジタル処理をした画像には違いないのですし、ディスプレー上で見るのも電子処理された画像なのですが、元のオリジナル画像の完成度、高密度は一般的なデジタルカメラの画像データより勝っています)。 次はコダクロームによる色の奥行きの深さがわかりやすい画像です。 Kodachrome K64でサン・ジョルジョ・マッジョーレ 島のBasilica di San Giorgio Maggioreの鐘楼から撮影したベニス本島です。 レンジファインダーカメラで横長画面でカメラを手持ちで、水平を出すのはかなりの難作業です。 フィルムは当時も高価で撮影枚数もこのカメラでは36枚撮りフィルムでも21枚分なので、”ダメモト”での無駄になりそうなシャッターはコストを考えると簡単には押せなくなります。現在のデジカメにおける電子水準器表示機能は、失敗が許されないプロ写真家が水平・垂直線が補助線として表示されるデジカメに飛びつき、フィルムカメラを捨てる大きな理由になったはずです。 ポジ・フィルムは現在でも流通していますが、Kodachromeというフィルムは他のポジフィルムとは発色と現像の仕組みが異なったフィルムで、その色再現としっかりとしたフィルムベースから”作品”のための切り札とも言える画像記録・保存手段でした。デジカメに置き換わるつい十数年前までは、書籍や雑誌、広告物などに用いられる商業写真画像の多くはポジ・フィルムで撮影されていました。 Kodachromeはポジ・フィルムの中でも独自の現像方式のフィルムだったので現像できる現像所が限られていたこともあり、ポジ・フィルムの主流としての地位にはならず2009年に生産終了となっています。Kodachromeは小売り価格が高価だったことと、中心となった製品の受光感度が高くない、当時のフィルムカメラの標準的フィルムは感度がASA(ISO)100か200だったのですが、コダクロームはASA64がメインで、ASA25という低感度などもあり絞り込むとシャッター速度が遅くなりブレやすくなるのですが、いっぽうで粒状性<ツブツブ感>の良さとフィルムの保存性が良いフィルムでした。今のデジカメのセンサーとカメラ内ソフトの標準感度はISO200が多く採用されており、ほとんどのカメラやレンズには手ブレ防止機構も採用されています。 ◆ 民生用カメラがほぼデジタルに置き換わったため、需要が激減し生産量が激減した写真用フィルムの価格が高騰しています。一般的な135規格35mm、36枚撮りのネガカラーフィルムが一本約1,500円、(レンズ付きフィルム、フジなら「写ルンです」ではフィルムは27枚分,約1,800円)加えて現像代約8百円、プリント代が別途必要で一枚あたりL版で約40円、ポジ(スライド)フィルムなら36枚撮りで2,000円を超え、さらに現像料金が約1,100円以上必要となりました。ネガ・フィルムですとフィルムは色が反転していますから画像を見るには最低でも小さなサイズのプリントが必要です。つまりネガ・フィルムですとワンショットで65円から100円 ほど、ポジですとプリントしなくても約90円強の費用が発生します。 デジカメやスマホですと、スマホやデジカメ本体の購入費用やメモリーの費用、ネット通信費、さらにはパソコンのハードやソフトの費用がかかっているものの、画面などで見る範囲では、シャッターを押しても撮影費用は殆どかかっていないという錯覚になってしまい、デジタル写真は安くつくという誤解を生んでいます。 数年前より、モノクロ(Black & White)フィルムの自家現像を55年ぶりに再開しています。普通の撮影、特に雨天時や暗所ではデジカメもしくはスマホ、晴天時の風景などはポジ・フィルムを使うも、黒と白のグラデーション、すなわち多色の色情報をなくしたモノクロフィルムを積極的に使うよう心掛けています。カラーではないモノクロの場合、撮影する対象の凹凸、陰影や光などで画像をつくり認識することになり、写っているものの特徴がはっきり見えてくることがモノクロ写真の最大の利点です。色情報・多色を捨て去り、的を絞る、強調するが故に、画像の印象は深まります。合唱・合奏の良さとソロの良さ、それぞれに良さがあるのと同じです。 下の黒白が反転しているフィルムをプリントデータ向けにスキャンしたのが一つ前の画像になります(撮影フィルムのサイズは60×45mm、フィルムはモノクロのフジ ACROS100で、自家現像です)。 一見、何の特徴もない、林の向こうには禿げた山(焼岳)が写っている駄作といえなくもない写真です。画面左に建物の一部が写っており、林があり、林の向こうに禿山が見え、かつ山肌が崩れ谷になっている、谷から山頂への荒々しさと、建物と山の距離感が写し込まれています。 撮影日時と画像の向きは異なりますが、同じ対象を縦で写した映像は次のとおりです(ポジ・フィルムフジ Velvia 100 画面サイズ24×36mm)。 ポジフィルムで撮影したほうが色情報がたっぷり含まれているし、普段人間が目にしている色付きでの像で、こちらのほうが赤や青が鮮やかに認識できるのですが、ではこのモノクロとカラーの写真を比べると、画像を見ることで生まれる想像力を考えてみましょう。カラー写真の方は鮮やかですし、それぞれの被写体部分もよく認識できます。が、それ以上でも以下でもない、単に色が綺麗といってしまうこともできます。モノクロ写真の方は、色情報がないため何がこの写真の主たる目的か、わかりにくいというのが第一印象です。それゆえ、もう一度画像を注視して見てみると崩れた谷の部分の深さや、禿山の山頂部分の色がわからないため、剥げた山頂より少し下の部分には樹木があるのか?それともないのか?などを頭の中で確認する場合があります。もちろんそんなメンドウなことはしないこともアリです。色情報がないことで、部分などを見て想像力を働かすという作用が頭の中で起きるのです。そして写真全体を注視すれば、この写真はいったい何を現したいのか?撮影者の意図は何にあるのだろう?と、写真を“作品”として意識することもあるのです。 実のところは、この焼岳の撮影は、撮影地を訪問するときに、定点で撮影するという単純な私的行事として撮影しているものです。特に主題を求めて撮影しているものではないので“作品”とはなりえない写真です。このようなフィルムは撮影者が死亡した際に真っ先に焼却処分されるのが良いという例ですので、あえてここに載せさせていただいています。”写真”という趣味は罪深いものです。 最近復活の兆しがあると言われる、モノクロフィルムの自家現像を少し紹介させていただきます。モノクロ写真において、引き伸ばし機で銀塩印画紙に光を当て、現像して像を浮き上がらせるという作業には暗室が必要でした。かつ一般向けの引き伸ばし機においては、大きく拡大して焼きつけるのには印画紙の大きさに制約があることが多く、自宅でのプリント作業はごく恵まれた環境の人以外は得ることはできませんでした。 プロのプリントなどの作業に委託するカラーフィルムが写真撮影の主流、それも街のDPE店でネガ・フィルムにおいては現像、そしてフィルムをスキャンし電子化し(CDサービスにも使われる)、そのデータをレザー光線でプリントするという(半)自動現像とプリントの機械が導入されると、短時間で仕上がってくるという便利さがあり、ネガ・フィルムがカラーフィルムの代名詞のようになってしまったのです。逆にモノクロフィルムは手作業での現像のため、ごく一部の愛好家以外は使うことがなくなってしまっていました。 ここにきて、便利なデジタル画像、何も考えなくてもきれいに映るデジタル画像というのが、撮影することの楽しみを広げる一方で、写真を写すという楽しみを奪っていることから、あえて面倒なモノクロフィルムを選んで使い、使うカメラ、使うレンズ(焦点距離など)を選び、自分で露出を決め(スマホには露出系ソフトがでまわっており、結構正確ですが)、撮影するという、完全な趣味の世界が少しですが見直されています。 フィルムの現像は化学の世界ですが、家庭でも廃液処理できる薬剤もあり、現像作業を自分で調整したりして、違う結果を求めることなどもできるので、自己満足の世界には違いないのですが、最後にできあがってくる画像がどうなのか?全て自己責任で作り上げた画像(もちろんカメラもフィルムも現像液なども全てメーカーが製造しているので、全てが自己責任ではないのですが)を、自分が撮影し作った“作品“と思い込むことができる楽しみはあるのです。 自家現像のため必要な道具の一部。下の中央少し右のブルー色の器具はフィルムをパトローネ(筒)から引き出す道具、現像タンク、薬品、温度計など。これらの道具や薬品の価格も、一昔前の数倍以上の価格に値上がりしています。どうってことない器具に見えますが、こまかい製造上のノウハウ、加工テクニックが集積された道具なのですが、時代が変われば、過去のものとなり、二束三文で扱われ廃棄されてしまいます。 逆に残っていたり、新たに生産されるものが異常な高価値品として扱われるという変な現象となっています。遺跡から出てくる日常使われた土器・食器の破片は捨てられた破片なのでしょうが、文化庁や教育委員会が埋蔵文化財として調査とする遺跡から出土すると貴重なものとして扱われ、レプリカを作るとすると大変な手間と費用がかかる文化財と、現在の写真の現像道具の取り扱いは少し似ているものがあります。 フィルムをパトローネから取り出し、現像タンクのリールに巻きつける。この作業は露光させないため、暗室内で行うのだが、暗室環境がない場合ダークバッグという光が入り込まない布製の袋の中で現像タンクへの準備作業ができる。
キッチンの流しで現像作業をおこなっていますが、現像の進行を止める停止液、現像で出てきた画像をフィルムベース上に留める定着液、水洗い促進薬剤、乾燥時の水滴の跡を残さないための界面活性剤などを手際よく進めていく。 カールしないようにオモリをつけて自然乾燥さす。繊維クズがフィルムに固着すると後でソフトでのゴミ除去作業が面倒になるので、作業前には周辺全体を念入りに電気掃除機で清掃、現像作業時には繊維クズが発生しない長繊維の繊維でつくられた衣服を着る、極小ゴミが空気中を漂わないように、できるだけ動かない、エアコンなどは厳禁と気を使う。
現像作業の終わったフィルムを収納袋の長さに合わせフィルムカッターで切り離す。 ◆ 「フィルム文化を守る」と公言していたある会社(このカット機の販売会社)は、さっさとカット機を廃番とし、他のメーカーが一時的に販売を継承したものの、それも撤退。結局日本メーカーの民生品のフィルムカッターはなくなり、世界でも数社が販売しているだけのようです。こういう本来簡単で安価にできる器具が作られなくなることで写真業界は自ら首を絞めたことになります。もちろん写真フィルムから逃げ出そうとして業態転換をはかった会社の経営者は投資家からは称賛されたのですが、それなら「文化」なる言葉を経営者は使わないで、単なる利益追求集団であることに徹してほしいものです。
フラットベッドスキャナー(本来は文書スキャン用)にフィルムをセットして、スキャンソフトで元の白黒に反転、戻した画像にして、本スキャンをおこなう。 PCで本スキャン中の作業状況のPCの画面(液晶ディスプレーなので縞状のモアレが部分的に写って出ていますが、ディスプレー上では通常は見えません)。 この画像の主題は、なだらかな切妻屋根、その下の横張り板による三角部分、そして五等分にわけられた一枚ガラスのガラス壁面に内側からロールブラインドで日除けされていて、建物の手前は手入れされた草地という、開放感と明るさをもったちょっとした建築美を捉えたものです(フィルムはフジ、モノクロ、ACROSII、自家現像)。 ◆ Paul Simon の歌詞 にある“nice bright colors” 自体、曲を聞いて思い浮かべるのは頭の中、すなわち、光の画像ではなく、歌詞に歌われる色を音波として聞いているわけでもなく、生まれてから頭脳に蓄積されてきた“色”情報を頭の中で再現しているのです。スマホでの撮影された映像のスマホ内での映像の作成、すなわち加工も実は、採用されているセンサーの性質に加え、設計の映像担当が画像の明るさや彩度やコントラストの蓄積されたノウハウから導かれ組まれているソフトで作られています。少しハイアマチュアになるとデジカメのセンサーに写ったデータをカメラ内に組み込んである画像化ソフトを使って記録・保存するのではなく、センサーのデータを「生データ:RAWデータ」として保存し、別途「現像ソフト」でもって好みの調子に画像を仕上げる(RAW現像)ということをする場合もあります。このRAW現像とは「ナマ」なら料理のしがいがあるということなのでしょうが、もともと光がセンサーで捉えられ電子データになっているわけですから、そのデータをカメラ内の(メーカーが勝手に決めた)画像処理ソフトで処理する(いわゆる撮って出し、jpg形式が多い)のではない、自分で現像ソフトを使い画像処理するという違いですから、写し込まれた“オリジナルの光”は電子データに既に変わっているわけで、もとの光とは全く違うわけですから、手が加わっていない“生データ”であるからといって好みの現像を行えば色の再現性などが絶対的に有利になるということにはなりません。画像を現像し加工し、好みに合わせることが個人的にできるということになるのですがアマチュアにとっては、メーカーやラボ支配だった画像づくりに頼るのではなく自分で決めて画像を造れる(現像する:ソフトで加工する)ということがアマチュアに新しい喜びを与えたわけです。 “nice bright colors” とは撮影する人が nice と思い、撮影し、フィルムがその“niceさ”を再現している、もしくは再現できているように見える色の記憶での頭の中の比較です。そしてその色がきれいに見える、きれいに感じさせる作用が得意なのがポジ・フィルム、とりわけKodachromeの良さだったのです。 “色の道”は奥深いものです。そして目に入ったもの、風景であれ、街並みであれ、人物像であれ、記憶に留めるための一つの記憶手段がカメラです。 恵比寿には東京都写真美術館がありますし、地方にも規模は大きくないものの優れた写真家の作品が展示されている写真館もあります。 楽友三田会のホームページには「楽友ギャラリー」で素晴らしい作品が電子展示されています。 使う道具はスマホであれ何でもよいので、日々の生活の中で、ちょっと気に入った瞬間などがあれば、撮影し記録にとっておくと、後から振り返ったとき、人生の楽しみが増すと思います。唯一感心しないのは、被写体を自分の目で見ることなく、両上を伸ばしてスマホの背面画面をみながら被写体を“追っかける”あの姿は、あまり感心しません。スマホ画面は少しだけ目をやりながらも、基本は被写体を自分の目で見たいものです。 (2023/2/11) |
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