楽友三田サロン

「楽友三田サロン」のお花見会

富樫 長昭(10期


都幾川の桜堤

毎年恒例のお花見会。今年は同好者24名が4月4日(日)に埼玉の奥地、武蔵嵐山に集まりました。そして地元在住の富樫長昭・俊子夫婦(共に10期)の案内で都幾川の桜堤を散策しました。

計画を立てた3月初旬の懸念に反し、直前2〜3週間は天候不順の日が続いたため、お目当ての桜は散ってしまうどころか未だ早過ぎて5〜6分咲きの状態。しかも朝は晴れていたのに、だんだんお日様が顔を隠してしまい、時間が経つにつれて身体がしんしんと冷えてくるという悪条件となりました。がしかし、雨に降られることはなく、不測の事態もなく無事予定したコースを踏破出来たのは幸いでした。

国立女性教育会館(NWEC)に隣接の歴史資料館では、武蔵丘陵の古代人居住跡の出土品とか、源頼朝に帰属した畠山重忠の館跡などを見学し、次いでオオムラサキの展示場に立ち寄りました。その後にざっと3〜4kmも続く長い桜並木を、人によってはガタガタ震えながらも、それぞれ思い思いのメンバーで語り合いながら、桜を鑑賞して歩きました。

昼食場所への迎えのバスは、木曽義仲と山吹姫を祀った八幡神社で13時半の予定でしたが、幸か不幸か(?)、少し早めに到着していたので、ほぼ全員が参拝をスキップして一目散に車中に乗りこみ皆ホッした表情になりました。それまで寡黙になり勝ちだった面々も息を吹き返し、いつもの騒々しさに戻りました。

嵐山駅から歩き始めた時点では、峰岸篤子(8期)さんが日頃のペースでスタスタ先行し、その一方で、初めの一歩から遅れ気味の組とでかなりの距離が開き、長〜い行列となりまして、案内役の気苦労はソリャ大変なことでした。

そこで、ネギ(10期)が篤っちゃんにひと言ペースダウンを要請いたしました。ところが、先頭が気を遣ってペースを落とせば後ろも安心してそれに倣い・・・、それが世の常のようでして、結局はA地点からB地点、どこへ行っても長〜い金魚のフン状態はほぼそのまんま。マアそれが皆マイペースの中高年の集まりなんだと、そういうことなんでしょう。

昼食、というか飲み会は、かつてこのグループのお花見会に参加したことのない案内人としては勝手が判らず、本会世話人の遠藤(7期)/内藤(11期)両氏と、それに事前に下見した、案内人と同期の小林/市川両君に仕切ってもらいました。予定した2時間はアッという間に過ぎ、最後は2〜3度ピッチを下げた2曲をハモって閉会となりました。

それが凡そ15時半。そこで二班に分かれ、木村/森脇さんを含めた10期の総勢6名は急きょ当地に留まって同期会をすることになり、他の方々は送迎バスで嵐山駅まで15分、お召し電車は16時3分発の池袋行きということになりました。10期を代表し、案内人夫婦より、電車組18名の方々に別行動をとった失礼を深くお詫びいたします。それにしても長〜い一日、今回の最長老・下村先輩(6期)に敬意を表しつつ、参加された皆様どうもお疲れ様でした。

参加者(敬称略): 下村延久(6期)、遠藤琢雄(7期)、峰岸篤子、豊岡守紀、舟山幸夫(以上8期)、田村陽子、渡辺紀和、三宅健一、山内彦太(以上9期)、森脇恵子、木村八重子、小林 章、市川 昭、富樫長昭、富樫俊子(以上10期)、内藤哲夫、太田 武(以上11期)、清水康昭、大竹虎彦(以上12期)、冨田陽子(14期)、井上雅雄(15期)、市田正英(20期)、木村勝隆(23期)、深井剛良(24期)。以上女性6名+男性18名の総勢24名でした。


編注:
@「楽友三田サロン」とは、故大野洋君
(10期)の提唱に安永いく子、故佐野康夫の両君と筆者(いずれも7期)の3人が賛同し、皆がメンバーとなっていた東京三田倶楽部(帝国ホテル地下所在)をホームグラウンドとして発足した会です。

「楽友三田会員なら誰でもいつでも参加できる、会員相互のコミュニケーションをより緊密にする場」であり、現在月例会には10〜15人、お花見や忘年会といった特別な会合には20〜25人ほどの仲間が集まっています。

1985年11月6日に第1回会合をもち、以後毎月1回の会合(お花見、忘年会、軽井沢例会を含む)を重ねて参りましたので、今年秋には25周年を迎え、この間300回の会合をもつことになります。

参加ご希望の方は、日時・会費等をお知らせしますので、現在の幹事:安永、遠藤(以上7期)、内藤(11期)、市田(20期)の何れかに、あらかじめご連絡ださい。(遠藤琢雄)

A この記事には写真がつくはずですが、なかなかその花が届きません。待っていると来年になるやも知れず、先にその実だけご賞味ください。(オザサ)

B 来年までは待てない。手許の写真を入れておきました。(わかやま)