追悼文集

アコとカクテル(2期)


小笹 和彦(4期)


★ デコ(筑紫秀子/4期/旧姓・加藤)さんから送られてきた写真に、こんなのがあった。

右から井上アキ子(旧姓・重本/2期/通称アコ綽名はアネゴ)、鈴木喜子(旧姓・土屋/4期/綽名はタヌキ)、加来昭子(旧姓・今橋/2期/姓はカク、名はテルコと読むので通称カクテル)、それにデコの諸嬢である。裏にデコさんが「高1」と自書しているので、時は1952年で楽友会創立の年の夏、場所は合宿地の翁島駅(磐越西線)と思える。

★ それを見ていたら、じわじわと懐かしさがこみ上げ、自分のアルバムも紐解いてみた。こんなのがあった。左からカクテル、アネゴ、井上清(通称オキヨ・4期)とぼくである。時は同じく楽友会創立の年、場所は三田の女子高・中等部校舎の一隅である。

つい先日、菅野友一(3期)さんが「だいたい1年上の先輩とは仲が悪い」といっていたが、その通りだと思った。世間でも「年子(としご)はよくケンカする」といい、一般に年は2〜3年離れたほうが仲が良い。そのせいか、2期と4期はウマがあい、よく遊んだ。

デコさんの写真は、今になってみるとオッカナイ人ばかり写っている。デコは家裁の調停委員、タヌキは内科のお医者さんでぼくの主治医。先輩アコさんは後年、映画女優になったほどの人で眩しく、カクテルさんは一見やさしそうでも厳しい人だった。

それもその筈、いわば音楽一家の一員で、長兄の今橋朗氏は、後にプロテスタントの牧師で讃美歌の権威として有名になった人、次いでご本人とその弟妹(イマキュウこと今橋久/3期、ミッチャンこと森田道子/旧姓・今橋/6期)が続くが、みな楽友会員で、カクテルさんは長女としての模範を示さなければならない立場だった。しかも父君は国分(株)の人で、「楽友」や定期演奏会プログラムの重要な広告主。みなが範とすべき方だった。

しかし、このカクテルさんとアネゴたち(2期)は自ら進んで、ぼくたち4期のよき庇護者となり、よき遊び仲間となってくださった。特にアネゴは、自ら「一人っ子でわがままよ」という割には明るくて朗らかな、女子高・最高学年のリーダーとしてピッタリの方だった。

デコさんの写真では、他の3人がまじめな顔をしているのに、アネゴだけは舌を出して笑っているのにお気づきか。下の写真でも一人だけ笑っておられる。その茶目っ気たっぷりな、あたたかいお人柄に惹かれてか、常に形影相添うがごとく寄り添っていたのがカクテルさんだった。楽友会関係の写真で、どちらか一人しか映っていないものなどない。「まるで夫婦のようだね」とみながはやしたものだ。が、実際に夫婦になったのはカクテルさんではなく、左隣のオキヨだった!

そもそも馴れそめは、ぼくの秘蔵していた写真が物語っている、と思う。オキヨは否定するが、アネゴがオキヨに、同じクラブの同好の士以上の好意を抱いていたことは確かだ。そうでなければ、この大事な夏休みに、諸先輩をさしおいて、オキヨと鎌田哲爾(4期・大学でテニス部に転じた)とぼくだけを選んで、「中等部の体育館で卓球をしよう」などと誘ってくれるはずはなかったからである。

なぜあの時、体育館を貸し切り状態で使えたのかは分からない。が、とにかくアネゴのセットアップで、我々は2〜3日やりたい放題、駆けまわり、跳ねまわり、汗みどろになってピンポンに興じた。その楽しかったこと、今でも忘れられるものではない。アネゴはいつも朗らかで、笑い、歌い、光のように飛びはね、輝いていた。

ぼくと鎌田がオキヨの単なる当て馬に過ぎなかったことを知ったのは、ずっと後の、二人が結婚すると知った時である。ぼく達は「やられたー」といいながら半ば驚き、半ばやっかみ気分でやけ酒を飲んだ。とはいえ、それが本心だったわけではない。濃密な想い出を共有した仲間として、この新しい楽友ファミリーの誕生は心底喜ばしいものだった。だから、最後は乾杯!でしめた。

もちろん、このカップルはいつでも仲間の来訪を歓迎し、常にあたたかくもてなしてくれた。二人とも幸せそうだった。3人の男児に恵まれ、みな立派に成長された・・・。

・・・突然の訃報がもたらされたのは1993年5月の事だった。「美人薄命」というがその通り、アネゴは「これからまた自分の人生が楽しめる」、という円熟期に早世してしまわれたのである・・・。

後日譚がある。アコさんとカクテルさんは真の友情で結ばれていた。余命いくばくもないと悟ったアコさんは、カクテルさんに事後を託したらしい。アコさんの没後、カクテルさんはその意を受け、自宅のことはさておき、井上小児科医院に熱心に通い、かつてアコさんのしていた病院業務や院長、つまりオキヨのサポートに尽くされた。

当時のオキヨの落ちこみようは尋常ではなかった。「おれは医者なのに、アコを助けてやれなかった」と悲痛な声で泣いていた。「しかも臨終の場にいることもできなかった」ことに痛恨の思いがあった。だから、もしカクテルさんがいなかったら、オキヨの今日はなかったかもしれぬ。しかし、カクテルさんは立派にオキヨを支えた。そしてオキヨの再起を見届けてから、アコさんの後を追うように、アコさんと同病で2004年にこの世を去った。オキヨは、自分の代わりにアコさんの最期をみとってくれたカクテルさんへの感謝と万感の思いをこめ、そのご夫君・加来氏と共に、カクテルさんの最期をみとった・・・。

★ ある時、ふとオキヨがもらした。「どこかよその場所で練習をやるようになったらねー、たぶん、わたしはねー、出なくなりますよ」。それを聞いてぼくはジーンときた。<この家で、オキヨはアコやカクテルと一緒に歌っているのだ。みんなと元気に歌っている、その歌声を二人に聴かせたいのだ>。

歌は愛と共にある。そして合唱は友情と共にある。若き日も、老いた今日も、オキヨの家にはそれ等がみんなとけこんでいる。だからぼくも、ずいぶん出不精になったものの、月1回、OSFに集うことを楽しみにして欠かさない。そして、ひそかに合掌しつつ、歌う喜びにひたるのだ。(08年9月28日)