就職・結婚・転勤とお互いに多忙な毎日が続いた時期もあったが、何年前になるだろうか、同期会の席で「今度、みんなで泊りがけの旅行をしよう」という話になった。面倒見がよく同期のリーダー的存在であった彼が幹事役を引き受けることになり、その直後、彼からの電話で「おい、紀和、お前こういうことに詳しい筈だから手伝ってくれ!」といわれ、引き受けたのが彼との絆をより一層強くするきっかけとなった。
それから毎年、企画を立てて下見をし、同期の人たちと楽しい旅行を何度となく出来たことは、私にとって何ものにもかえがたい思い出となった。これもひとえに彼の温厚な人柄と少々のことには動じないのんびりとした性格の賜物と感謝している。
彼はきっと先に天国に行って、われわれが次々と来るのを待って、また同期の旅行をやるべく資料を集め下見をしてくれていることだろう。
我が良き友、憲太郎、元気で待っていてくれ!
楽友会9期 渡辺 紀和 (2011年1月13日)

編集部注:
藤吉憲太郎君は長い間、9期の代表幹事をやってくれ連絡係の中心にいた。9期は楽友会の中で突出した会員数を誇る特別な期である。大学からの会員を大々的に集めることになった2年目の年だったと思う。日吉に変なウイルスが蔓延してぞろぞろと入ってきたのです。初めは50名位いたのではないかと思う。そんな大勢の期にもかかわらずまとまりが良く、渡辺君が触れている同期旅行は10数年前から続けられている。藤吉君が体調を崩してから、9期の幹事役も思うにまかせなくなったが、市村正明君という優れた幹事が後を引き受けてくれて何の滞りもなく従来通りの結束を固めている。手前みそながら、9期は楽友会の手本ですな。2010年10月6日没。
ところで、ナベちゃんは自分で書いている通り、藤吉とは50年来仲良くしてきた。そこで、「藤吉の追悼文はナベが書くのだ」と頼んだら、「文章を書くのは苦手だ」と尻込みをする。バカヤロー、冗談じゃないよ。ナベが書かなくて誰が書くのだ。
正月も過ぎて、電話がかかってきました。「長くなったけれども大丈夫か?」といいます。「どんなに長くてもいい」と答えたら、「じゃぁ、FAXで送る」・・・大体、今時は「メールに添付します」なんて言ってくるのに、ナベはFAXだって。長いというからどれだけになるのかと思ったら、手書きのB5の紙ぺら1枚だけだった。それがこの原稿ですが、ナベらしい心のこもった藤吉への追悼文である。藤吉は「よく書いたなぁ」って半分笑いながら喜んでいるのが見えるようだ。2010年10月6日没。(かっぱ)
2011年も12月半ばとなりました。藤吉の奥様、倫子さんから「一周忌も終わり、前を向いて歩いていきます」とお手紙をいただきました。(2011年12月15日かっぱ)
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