追悼文集

安保日出男君(12期)を偲んで

舟山 幸夫(8期)


安保日出男君近影

過日「楽友」編集部から「安保君の追悼文」を書いてもらいたいとの要請を受けました。彼が亡くなったのは一昨年(平成25年)大晦日ですのでやや時期外れになりますが彼とは高校(教育大付属)の合唱部時代から50年以上の付き合いになりますので拙文を寄稿します。

彼は私が高校3年の時に1年生として合唱部に入団してきました。高校一年にしては大人びた声。特に低音が素晴らしかった印象です。当時は歌声喫茶の全盛期でロシア民謡がよく歌われており何曲かが混声合唱に編曲されていました。その中で「おお道よ」にはバスのソロが挿入されており安保君がソロを務めました。独特な個性と鋭い目つきで距離を置いていた女性連もその声には魅了されたようです。

高校卒業後は浪人をして慶應義塾に入学。同じく私の高校の後輩の12期清水康昭君ともども「楽友会」に入団しました。

楽友会での活躍ぶりは良く知りませんが4年の時に団内指揮者して高校時代に歌った山本直純作曲の「田園わが愛」を定期演奏会で振ったのを大阪から駆けつけて聞いた記憶があります。

先にも触れたようにやや頑固で独特な個性から「楽友会」でどんな存在であったのかは気がかりでした。その後、IBMに入社し世界各国を駆けめっぐて活躍をしたようですが、愛妻が20年以上腎臓疾患で闘病生活を強いられ、最後はみずからの腎臓を提供し看病に努めたようです。時々呼び出しを受け話し相手になりました。その看病ぶりには感心しました。

残念ながら2010年に奥様が亡くなり、その後、彼自身も心臓などを患い一昨年の大晦日に他界されました。最後に会ったのは春でしたがすっかり灰汁も取れ聖人になってあの世へ行ったとのことでした。ご冥福を祈ります。合掌。(2015/1/15)

  


編集部より 安保君の訃報は2014年1月に舟山君のところから12期同期の清水康昭君経由で編集部に知らされました。2013年12月31日没です。もう、一周忌も過ぎました。舟山幸夫君に「追悼文よろしく」と一言いったら、直ちに送ってくれました。清水よ、もう相談しなくてもいいですよ。(2015/1/15・かっぱ)