追悼文集

小林亜星先輩の思い出

舟山幸夫(8期)


われら「楽友会」の大先輩で日本の偉大な音楽家である小林亜星先輩の訃報を知り、また大切な先輩を失った悲しみに打ちのめされています。ただでさえ「コロナ禍」で自粛生活を強いられ音楽活動も制限されている中、皆様と歌や会話で偲ぶことも困難な状況ですので、いくつかの思い出を記して追悼させていただきたいと思い一筆したためました。

拙文で恐縮ですが、ご一読いただき、共にご冥福をお祈りいただければ幸いです。
 

今更いうまでもなく小林先生のご活躍は作曲家としてだけでなく、俳優として・タレントとして・評論家として実に幅広い分野でご活躍されました。8000曲に及ぶ作曲。その中に我々「楽友会」のために書いていただいた「青春讃歌」と楽友三田会合唱団第25回記念演奏会のために作曲していただいた「街」が含まれていることは我々の誇りであり、これからも歌い続けて行きたいと思っています。

「青春讃歌」は楽友会の演奏会や会合で必ず歌われ、特に現役諸君にとっては定演の最後に歌う「青春讃歌」は現役の「卒業証書」になっています。「楽友三田会」の23回演奏会では作曲40周年を記念して演奏会の冒頭に、ご自身で指揮していただきました(ただ最近定演では歌われないこともあると聞いており残念です。ぜひ伝統を続けて欲しいものです)。

一方「街」は世界の6つの街をご自身の作詞で作曲されました。練習にも数度顔を出してくださりご指導を受けました。そして練習後の飲み会にもご参加いただき、大好きなお酒をご一緒し、そのざっくばらんなお人柄にメンバー皆が感激したものです。この席には合唱用に編曲くださった現在日本の合唱界での第一人者信長貴富先生も同席されました。並みの音楽家ではありえないことです。お酒で思い出があります。

もう20年も前でしょうか、先生が「日本著作権協会」の重責を担っておられたころ、確か、OSF合唱団(楽友会卒団のシニア男声合唱団)のメンバーで、4期の小笹先輩の行きつけの銀座のバーへ飲みに行ったところ、小林先生が一人静かに飲んでおられました。お酒の勢いで、

「我々慶応楽友会の後輩です」

と遠慮なく声をおかけしたところ、

「おお楽友会の後輩か?」

と言って岡田先生の話など楽しく過ごした記憶があります。

ところで先輩は、慶応高校時代に音楽にのめりこまれ、親の反対を押し切って医学部に進学後すぐに経済学部に転部され、その後、音楽家の道に進まれたことは有名な話ですが、高校時代の音楽教師だった岡田先生がいろいろ相談に乗られ、特に奥方が応援された話を「岡田先生を囲む会」で、また「岡田先生を偲ぶ会」で熱っぽく話されたことも印象的でした。

これも先生のお人柄によるものでしょう。ここまで「楽友会」中心の話をしてきましたが、テレビなどで拝見していてもほとんどの方々がそのお人柄に触れておられます。その中でもう一つエピソードを。テレビドラマ「寺内貫太郎」でのこと。息子役の西城秀樹さんをしばしば叱り飛ばし、腕力をふるうシーンが多く出てきましたが、一度投げ飛ばした勢いで西城さんが怪我をしたことがあったそうです。

「一生懸命やらないと役が務まらないので、はずみで怪我させてしまった。申し訳なかった」

と言っておられました。これもお人柄でしょうね。今頃あの世で謝っておられるかもしれませんね!素晴らしい音楽と思い出をありがとうございました。   合掌

(2021/6/15)

  


編集部 8期の舟山君から亜星さんへの追悼文が届きました。有難うございます。

今回も頼まれ原稿ではなく、ご自身の投稿です。同期の豊岡君が亡くなったときも、知らせと追悼文とが一緒に届きました。書くのが早いのです。

編集部のかっぱも直ぐに書くように、学生時代に大先生方から仕込まれました。

(2021/6/15・かっぱ)


次の稿