その後2006年に「OSF合唱団」を諸先輩とともに設立され練習場にご自宅を提供いただき、私も65歳を超えていたのでメンバーに加えていただき、それ以来「コロナ騒動」が始まるまで毎月、大森のご自宅にお邪魔し「OSF」の練習、そして、そのあとの「飲み会」で親しくさせていただきました。
演奏会もご一緒しあの素敵なテノールの美声も聞かせていただきました。確か6回目のコンサートでのソロを前にしてお好きだったタバコもやめられ我々愛煙家に「早く辞めなさい」とアドバイスされ、時々飲み会で「一本だけ」といっておいしそうに喫煙されたことが思い出されます。
早くに愛妻を亡くされたことから、3階のお部屋には「仏壇と遺影」がいつもきれいに飾られており、私は奥様を存じ上げませんでしたが、飲み会の前にお線香を備えさせていただくと、「ありがとう」と笑顔でお礼を言われました。大変な愛妻家だったとの話を諸先輩からお聞きしました。今頃は天国で再会されていると確信しています。お子さん方を立派に育て上げられたこともご自慢の種でした。
ご自身大変な博学で飲み会の席では、いつも話題の中心になっておられました。決して大声を出すことなく穏やかな話し方で皆を圧倒されていました。いろいろと勉強させていただきましたことも感謝です。またお医者さんの立場で多くのメンバーの健康管理にも気を使われ、私も多くのアドバイスをいただきました。その先生が80歳半ばで急逝されるとは!
今後、先生のおられないOSFもどうなることか?できれば遺志を継ぎたいものです。
いずれにしても素晴らしい先輩・先生・そしてオキヨさんでした。心からのご冥福をお祈りします。合掌 舟山幸夫拝
(2022/2/16)
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