ジャズ繋がりだった寺田さんとの懐かしい想い出が次々と湧いてきます。本稿では、寺田さんを偲んで筆を執らせていただきます。
1958年11月、慶應義塾創立百年祭記念音楽会は出来たばかりの日吉記念館で開催されました。楽友会はワグネルの男声・女声と合同で、ベートーベン「第9」のステージでした。
軽音楽関連のバンドが演奏する音楽会もありました。寺田さんはライトミュージック・ソサイエティの真ん中の一番高い席でドラムスを叩きました。格好良かったです。寺田さんは大学3年生、カッパが高校3年生の時です。
古い楽友の皆さんは、寺田さんのジャズバンド「Five
Brothers」をご存じだと思います。Five Brothersは寺田さんが大学1年生の時、まだ高校3年と2年の後輩と始めたジャズ・クインテットです。この写真は90年代前半頃の写真だと思います。

山崎さん(pf) 岡部さん(tp) 寺田さん(dr) 高津さん(ts) 栗原さん(bs)
ファイブ・ブラザース
寺田さんと栗原さんが楽友会でした。ジャズ好きのカッパは大事にしてもらいました。バンド結成うん年の節目の年には、有名ホテルの広いホールを借り切ってジャズ・パーティがありました。1996年、40周年の時は新橋の第一ホテルでのパーティ、50周年は赤坂のキャピトルホテル東急で開催されました。
それ以外の年は、帝国ホテルの東京三田倶楽部でライブでした。ジャズの好きなお友達が沢山集まりました。よく現れる人間に大野雄二がいました。カッパと高校同期で、熱海の大野屋旅館の息子でした。高校時代からジャズ・ピアノの上手な男で、アニメ「ルパン3世」の音楽を手がけてきたことはよく知られていました。大野はいつもゲストでピアノを弾かされたものです。
90年代だったでしょうか、永代橋のたもとにあったジャズ・ハウスのオーナーが、Five
Brothersのパーティーに出席し、「うちの店でライブをやってください」ということになり、毎月、その店でライブが始まりました。カッパはVocalでStandard
Jazzを歌わされました。銀座の服部時計店の裏にあった岡部画廊が練習場所でした。毎月ライブのリハ・練習に通ったものです。
そんなジャズ人間の寺田さんが、2006年9月にOSF男声合唱団が出来た時、メンバーとして参加しました。そして、初めてのコンサートが2009年4月に紀尾井町の松田ホールでありました。指揮者の小笹和彦先輩から「聴きに来い」のお達しで、そおーっと行きました。寺田さんが歌っていました。ビックリしましたねぇ。ジャズ・ドラマーが男声合唱で歌っているのです。
https://youtu.be/TwCIk2WljQU
OSFコンサートでは、歌うだけでなくビデオの録画、写真撮影の手配から出来上がったファイルをHP「楽友」編集部のカッパに送ってくれました。面倒な仕事をすべてやってくれるのです。
1996年に「田園都市線沿線の集まり」が故佐野康夫さん(7期)の発案で始まりました。寺田さんは事務局を引き受けました。会場の予約、メンバーへの連絡などを一手に引き受けました。HP「楽友」が2008年に出来ると、2009年の宴会の集合写真とレポートを書いて送ってくれました。
ところが、病魔が寺田さんの右肺を蝕み、手術で片肺になりました。悪い細胞が広がらないように抗がん剤やステロイド剤を飲まされました。その為、身体の中は無菌状態になってしまいました。病原菌に対する抵抗力がゼロになってしまい、外出禁止となりました。もう、大丈夫かと出掛けて、2度感染症を発症し大変な事になりました。
昔のように呼吸がままなりません。家の中でも酸素ボンベを引きずって歩いているのです。鼻にはいつも酸素パイプが刺さっているのです。それでも、2014年に銀座BRBで3年振りのライブを開催しました。酸素吸入器付きです。顔はステロイドの所為か、むくんで見えました。

2014年5月31日 銀座BRB
ピアノはプロの岩崎佳子です。オリジナルメンバーの山崎さんは既に他界されていません。
このライブの2年後、2016年は60周年になります。寺田さん、頑張ってくれました。年明けて2017年3月に遂にFive
Brothers「還暦記念」ライブが東京三田倶楽部で開催されました。

寺田 厚さん 2017/3/25

Five Brothers 還暦のご挨拶 2017/3/25

”When Sunny Gets Blue”
これが寺田さんの最後のライブとなりました。大勢の楽友が集まってくれました。感動的なライブでした。カッパも1曲歌いました。
素人のバンドで60年続いたバンドの話なんて聞いたことが有りません。ひとえに世話好きの寺田さんの人柄によるものです。
最後に、2人だけの時・・・寺田さんの口癖・・・「お前カッパ 俺カメ」・・・
そう、寺田さんのニックネームは「カメ」さんだったのです。
「カメさ〜ん、さよ〜なら」
(2022/2/16)

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