子供たちからは、男同士で毎月会って何を話すのと言われたりしましたが、銀行・生保・損保・ビール会社それぞれの経験からの談論風発の飲食はとても楽しいひと時でした。
中濱君はその融資に関する深い知識から色々参考になる話をしてくれましたし、すごい読書家で(他の仲間もそうでした)、お互い読み込んだ本の感想を様々な角度から伝えたり、議論したりして、毎回瞬く間に時間が過ぎ去っていきました。
この会もすでに二人死去しており、さらに一人は歩行困難で夜は難しいということで、残る中濱君を含む3人で昨年まで続いていました。
本年3月に三田のファカルテイクラブで会食した時には酸素吸入器を付けながらも元気に来てくれ、またしばらく後に会いましょうと別れ、その後ご機嫌伺や8月初旬に残暑見舞いを出状すると元気な電話がかかってきていたので、こんなに早い展開に無念の一言です。
間質性肺炎から9月3日に肺炎になり、入院して翌日の逝去でした。
死の直前の7月13日の受洗は何か強い思いがあったのでしょうか。
礼拝で穏やかな中濱君のお顔を拝見し、安堵した思いです。
心よりお悔やみ申し上げます。(クラスの親しい仲間として)

楽友三田会9期 市村正明
私は楽友会は大学1年の時だけ在籍、その後小金井に移った関係で全く音楽に縁もなく40年近く過ぎたある日、機械科の同期会の席で堀 佳一君から声をかけられ、楽友会の同期のまとめ役を藤吉君がやっていることを知った。リタイヤー後に何をやろうかと思っていた時だったので、MMCの合唱練習を聞きに行った。学生時代の懐かしい仲間、藤吉君、中濱君、長部君、1年後輩(当時塾校3年生)の市川君、伴君に会った。40年以上も歌っていない私に楽譜を渡され、3年の免罪符をもらい、MMCの準会員になってしまった。(歌えるわけもないのだが仲間に入れてくれたことに感謝!!)
前置きが長くなったが、この時から中濱君とは縁があり、合唱練習会の帰りも一緒だったので色々アドバイスしてもらった。彼は多くを語らないが常に私をバックアップしてくれたので、全くの新人の私も居心地よく活動できた。今日があるのは彼のお蔭と感謝している。
MMCの歩こう会に参加すると彼は先頭を切って歩く健脚の持ち主で、私はきっと彼が一番長生きするであろうと思っていた。ところが、コロナ禍になって状況が一変した。坂道等で彼が息苦しいという。検査結果は間質性肺炎!!なんて受け止めていいのか言葉に困った。
彼にはうまく病気と付き合って呉れて今後を過ごしてもらいたいと願っていた。
ところが、9月4日の夕方5時過ぎに中濱令夫人から4時過ぎに亡くなったと言われあまりに早すぎる彼の死に愕然とした。いの一番に連絡いただいたことは有難く感謝しかない。
早速、同期の仲間に連絡をと申し上げたら葬儀が終わってからにして欲しいとのことだった。有難いことに彼のお見送りには参加させてもらった。生前の彼の配慮にただただ感謝である。彼の寝姿(?)は品があり、穏やかな顔をしていた。きっと大往生だったのだと推察できた。人は何時か幕引きをしなければならないが、私も願わくばこうありたいと思った。
中濱君のご冥福をお祈りします。
(2023/9/9)
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