博資さんとは、高校、大学を通じて、その後の楽友三田会合唱団の活動まで、六十年余に亘るお付き合いでした。高校時代、私は一年生の後半から楽友会に参加したのですが、博資さんは4月の入学時から入会し、合唱、それも合唱指揮をやりたいという熱望をもって、頑張っていました。2年生からは、彼は学年指揮者として、私はパートリーダーとして、活動をしながら、彼が個人的に師事していた坂本良隆先生の下で、一緒に和声楽を学んでいた時期もありました。
大学では同期の学生指揮者として、二人三脚で毎年の定演や演奏旅行を通じて、楽しい楽友会生活を過ごしました。同期の仲間達とは、彼のご実家のルーツであった近江八幡や京都を訪問する為、学生の分際で彼の実家の当時『外車』であったフォードのフェアレーンに乗り、国道一号線から開通直後の名神高速道路を、彼が一人で制限速度一杯の運転をしたり、実家のお声がかりで、鴨川沿いの旅館に泊まり、毎晩覚束ない酒盛りをしていた事も、今はとても懐かしい思い出です。
卒業後、彼は三菱信託銀行に就職したのですが、私がIBMにSEとして勤務していた時、担当した最初のお客様が偶然三菱信託でした。お客様との会話の中で、彼の社内での話題に花が咲いた事があります。というのも、三菱信託の渋谷支店に配属された彼は、その支店長さんと二人で新人の挨拶回りにお客様を訪問した際、当時の彼自身の面貌から、お客様が彼と支店長さんとを取り違えてしまい、お客様も支店長さんも、大変恐縮されたという逸話があり、三菱信託事務部のお客様からは、『貴方は大変な同級生をお持ちですな・・』と大笑いで冷やかされた憶えがあります。
その後は、家業に戻り、不動産会社の経営をされたのですが、楽友会の仲間との交わりは、何時も彼にとって第一優先事項であった事を懐かしく想いだします。
博資さん、最後に同期会で会った後、又、この次も、と何度も繰り返し楽しみにされていましたが、今度は私達がそちらにいった所で、もう一度、懐かしい同期会と酒盛りをしましょう。心から、ご冥福をお祈りします。
龍亮
(2024/8/15)
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