慶應義塾大学混声合唱団楽友会
「第57回定期演奏会」を聴いて

 

「楽友」編集部 小笹和彦


慶應義塾大学混声合唱団楽友会
−第57回定期演奏会−

 
日時:2008年12月3日  開場18:30 開演19:00
場所:杉並公会堂大ホール(中央線・丸の内線 荻窪駅北口から徒歩7分)

プログラム:

◆1st Stage
混声合唱とピアノのためのグリーグ歌曲集 『ソルヴェイグの歌』
−グリーグ没後100年記念(2007年 合唱団 響 委嘱作品)−
日本語詞:谷川 俊太郎、覚 和歌子 編曲:寺嶋 陸也
指揮:栗山 文昭   ピアノ:寺嶋 陸也

◆2nd Stage
混声合唱 『西国のしらべ』 −七つの九州民謡による−
編曲:大中 恩   指揮:平畑 武文(学生指揮者)

◆3rd Stage
合唱のためのシアターピース: 『食卓一期一会』
−今日、何を食べましたか?−(2006年 アンサンブル・カーノ 委嘱作品)
作詩:長田 弘    編曲: 信長 貴富
指揮:栗山 文昭   ピアノ:寺嶋 陸也
演出:しま まなぶ   照明:大鷲 良一(創光房)


12月にしてはあたたかい晩だった。満員の聴衆を集めるかと思ったが、意外にも約1300の客席にはあちこちに空席があり、7〜8割の入りと見受けた。せっかくの演奏会なのに気の毒に、と思った。プログラムに差しこまれた他大学のチラシだけでも、12月中に8件もの演奏会がある。時期的な問題があるのかもしれない。チョット不思議だったのは、若い聴衆が大半で年配者が少なかったことだ。それも塾生より、他大学の―おそらく常任指揮者・栗山文昭氏の関わる関東近県の合唱団の人たちが多かったように思う。

● それは座席周辺や休憩時のホールでの雑談を耳にすればすぐわかる。大きな声で遠慮なく批判的言辞を弄するので嫌な感じだ。それは、鑑賞に来たというより敵情視察に来たという雰囲気で、昔のような家族的雰囲気がほとんどないことを寂しく感じた。

● 演奏そのものは立派だった。合唱の技術は数ある学生合唱団の中でも、また楽友会の歴史の中でも最高の部類に属するものといえるだろう。全曲が日本語だったせいもあるだろうが、第1ステージ以外の曲は全て暗譜で演奏された。これは大変な努力と練習の結晶と思え頭がさがる。また全団員の4割近く、特にテノールは全18名中10名までが1年生で、4月から僅か7ヶ月間の修練であれだけの合唱力を身につけたことに一驚する。集中力を発揮した各団員も偉いが、これだけの団員を一糸乱れずにまとめあげたリーダーたちの統率力・指導力に脱帽だ。

● プログラムは、すべて常任指揮者が企画されたもののようだが、さすがプロの選定されたものだけに気の利いた構成である。ノルウェー民謡を素材としたグリーグの曲を編曲した8曲と、それに続く7曲の九州地方の民謡編曲集には対照の妙があり、メインステージのシアターピースには合唱を聴くというよりも、ミュージカルを観るような楽しさがある。正直にいって、これで千円の入場料は安すぎると思ったくらいだ。

● だが、ここまで音楽会としての洗練度が上がってくると、却って欲がでる。大中恩編曲の九州民謡を指揮した学生の平畑君は立派で、団員諸君の健闘も称賛に値する。全曲アカペラで、音は冒頭にピッチ・パイプで与えられた単音だけなのに、最後まで暗譜で破たんなくまとめあげた実力は、昔では考えられなかったことである。

● ただし、原曲のもつ土俗的情念の焔は感じられなかった。編曲自体、技巧に走りすぎたきらいがあるが、今回の演奏では欧風化された九州原産の曲を聞けたに過ぎないと思った。違いを鮮明にするためには、発声法自体を変えなければなるまい。もっとも、第1ステージのグリーグの曲も、山水画化された北欧の曲といったイメージで聞こえたので、両者に対照の妙を求めたこと自体が、無意味だったのかもしれない。

● ここ数年、シアターピースという新しい合唱表現がメインステージに据えられるが、内容的にはもう少し吟味して選曲すべきではなかろうか。「食卓一期一会(副題:今日、何を食べましたか?)」の稚拙な台本には何の意義も感じられなかった。

最後をffの「(それ迄に歌と動作で表現した種々の食物や調理法を)戦争はくれなかった!!」という歌詞で結ぶが、これには「ふざけるな!!!」と叫びたくなった。<戦争と何の関係がある!>という反発である。それで、それまでの筋立ては台無しになった。反戦を歌う、というならそれでもよい。しかし、それならそれでもっと献立を考えるべきだ。あれではお子様ランチなのか、大人向けのフル・コース料理なのかさっぱりわからない。場面毎にはけっこう楽しめたのだが、終わってみれば何も残らない。学生諸君の熱演には盛大な拍手を送るが、指揮者の選曲意図が分からなくなった。

● 楽友会は今後とも、シアターピースに執着し続けるのだろうか?古典的名曲や宗教曲はもう過去の遺物なのだろうか?例えば50年後に「食卓一期一会」の歌を思い出し、楽しく歌い返すことができる人が何人いるだろうか?等と考えながら帰途についた。

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家に着いても興奮さめやらぬまま、たまたま手許にあった過去のプログラムをとりだして比べてみた。団員数は次のように変化している。

団員数
S
A
T
B
合計
第11回(62年)
総数
28
30
54
55
167
第36回(87年)
1年
9
7
6
6
28
2年
4
6
5
6
21
3年
8
6
3
5
22
4年
8
6
7
7
28
総数
29
25
21
24
99
第57回(08年)
1年
7
4
10
5
26
2年
2
4
2
4
12
3年
5
3
5
4
17
4年
5
6
1
4

16

総数
19
17
18
17

71

20年以上も隔たりのある3回分のデータだけでは何ともいえないが、フィーリングだけで物申すよりはましと思ってあえていえば、人員数が長期的に低落傾向にあるのではないか、と気にかかる。今回、名簿上は71名であるが、ステージ上の人員は女声32名と男声28名の合計60名であった。もし、この傾向が続くとすれば、将来が不安である。

● 今年は珍しく1年生26名を加えることができてよかったが、その中には新設の薬学部(1年次・日吉キャンパス)の4名がおり、上級生たちが団員増加に向け、全学的規模で奮闘した情景がほうふつとして心強い。しかし、もしその努力の結果にもかかわらず、これ以上の人員増が見込めないとすれば、対策を講じる必要がある。今年はせっかく上向いたのだから、これを好機として改めて団活動を総点検し、団員の定着率向上と、より多くの新規団員の獲得に向け、総意を諮ってみたらどうだろう。

● あわせて、客席を満杯にする方策も練りなおした方がよい。アンケートは貴重な資料となるだろうが、それを過信しない方がよい。回収率は非常に低いはずだ。むしろ声なき声の収集に努めるべきだろう。友人・知人それに家族たちにヒヤリングしても、それはあまり頼りにならない。ありきたりの返答に終わるのが常だ。そこで我田引水めくが、ぜひ先輩たちの声に耳を傾けてほしい。自分達の経験に照らし、最も建設的な、最も実際的な話が聞けるはずだ。

● これには先輩団も、より積極的に参加する意思を示す必要がある。現状は皆、あまりに無関心である。客席を見廻しても先輩たちの数は少ない。先ずは、恒例の交流会と定期演奏会に、何をおいても足を運ぼう。それが先輩と後輩たちの交流の原点である。そこから明日が始まる。そうすることによって「伝統ある楽友会」の再建を始めれば、団員数を増加に転じることも、決して夢ではない。

● 参考として、3回のプログラムに載った定性的事項も付記しておく。

定演
開催日
開演
場所
曲目と指揮者/伴奏者等(敬称略)
第11回 62年11月11日(日) 18:30 文京公会堂 シューベルト合唱曲集(学生指揮:舟山幸夫/学生ピアノ:鳩山満喜子)
津軽の旋律(学生指揮:大野洋/学生ピアノ:日野原萬里子)
モーツァルト「戴冠ミサ曲」(指揮:岡田忠彦/学生ソリスト:浅野美代子(A)、塚越敏雄(T)/日本室内交響楽団)
第36回 87年12月17日(木) 18:30 郵貯ホール バッハ:モテット”Jesu, meine Freude”(学生指揮:尾高雄一)
シューベルト「変ホ長調ミサ曲」(指揮:岡田忠彦/N響団友オーケストラ)
第57回 08年12月3日(水) 19:00 杉並公会堂 ソルヴェイグの歌(指揮:栗山文昭/ピアノ:寺嶋陸也)
西国のしらべ(学生指揮:平畑武文)
シアターピース「食卓一期一会」(指揮:栗山文昭/ピアノ:寺嶋陸也)

注:この一文は、編者が複数の楽友会関係者から聴取した感想をまとめたもので、必ずしも大学楽友会ないし楽友三田会の公式見解を示すものではない。(2008年12月5日・おざさ)